プロモーション活動

数日前、YouTubeにライブ映像をアップロードしてみた。ミュージシャンとしてユーザ登録をして、ベイビーバギーのチャンネルを作成、デジカメで撮影した動画を曲単位で分割し、クリップごとにテキスト情報を付加してアップロード――。思ったより面倒臭くて手間取っちゃったけど、なんとか十数ファイルを公開することができた。これで世界中のネットユーザがベイビーバギーのライブを観ることができるというわけだ。さて問題は、どのくらい見られるものなのか、ということ。YouTubeは1日あたり1億ページビューというモンスターサイトだが、その1日でおよそ3万5千もの新しいファイルがアップロードされるそうだ。これだけ数字が大きいと見当も付かない。で、数日経った結果は、ほとんど見られない、と。詳細の書き方が悪かったり検索用のタグの付け方が悪かったりはするだろうけど、ようはアップしただけじゃ見てもらえないということだ。まあ当たり前といえば当たり前の結果かなと。で、せっかくファイルを作ったんだから、他のサイトにもアップしてみようと、FlipClipというサイトと、ワッチミー!TVというサイトにもアップロードしてみた。この2つはいずれも日本のサイトなんだけど、これらはなかなか見られているのだ。たった2、3日ほどだけど、合わせると150人くらいが見ている。人気のあるクリップになると何十万単位で見られるから、それに比べるとまったく人気のないクリップなんだけど、リアルなライブと比べるとこれってすごいことじゃないか。だっていままでにうちらのことをまったく知らない150人に観てもらったことなんてないもん。もちろん、みんながみんな最後まで観たわけじゃないだろうけど、へえこういうバンドがいるんだ、なになに?ベイビーバギー?――みたいに思ってくれた人は少なからずいるんじゃないかと思う。ひょっとしたらこのサイトまで来てくれた人もいるかもしれない。実際にライブまで足を運んでくれる人はさすがにいないだろうけど、それでも僕らの活動がいろんな人に認知されるようになると思えば、やり甲斐も出てくるってもんだ。今後はいかにバンドをプロモートしていくかってことも考えながら活動して行かなきゃね。

ついに終わった

ついにこの怒涛の過密スケジュールがひと段落した。今月真ん中から後ずーっと予定だらけで本当に大変だったんだよ。会社の仕事は忙しいわプライベートでもライブだ練習だ結婚式だ四十九日だ年賀状営業だとてんてこまいの毎日でした。特に友達の結婚式は式で歌を歌ったり、二次会の幹事をしたりと大忙し。前日夜中の3時までかかって二次会で出す大量のシュークリームを焼き、当日朝の早くから美容院で着物を着て、式では歌を熱唱するも緊張して声が震え、式が終わったら花の手配や着替えやシュークリームのクリーム詰めや会場の準備やなんやかんやで本当に大変。こんなに自分がバタバタした結婚式も珍しい。だいたい主役でもないのにね。ほっと一息ついたのは3次会。3次会でも店に人が入りきらないということで急遽カウンターに入ることになり、焼酎の水割りだのお茶だのおでんだのを作ったりなんだりで結局忙しかったんだけどね。でも気心のしれた友達と店のおばちゃんとおばあちゃんと一緒にわいわい笑ったり飲んだりして結局楽しかったんだけどね。そう、すごいバタバタしたけど本当に楽かった。どうも苦労性らしく自分で仕事を見つけにいってしまうようで、しなくていいおせっかいまでしていたような気がするけど・・・。みんないい人ばっかりだよ。そうそう、3次会でお酒を飲んでおでんを食べてちょっとごきげんになってきたので、愛の賛歌を熱唱してきました。全員で。あれ今思うと寒いけど結構感動するもんだね。みんなで大合唱するっていいね。本当に楽しかったよ。

勝ったのは誰だ

島村楽器主催のライブ「オトナのライブコンテスト HOT&COOL」に出演。冠にコンテストと付いているが、審査員が別室で協議したりする大仰なものではなく、お客さんに投票用紙が配られ、良かったバンドに1票を投じるというもの。そうなるとそれぞれのバンドがどれだけお客さんを呼ぶかという集客勝負になっちゃうんだけど、それでもそういう目――もし自分が公平な立場だったらどこに投票しようかという目で見られるだろうから、それなりに気合いも入る。
出演したのは、知ったとこではロック四十肩とGrand-Hi-Ace、知らないとこでは能登くんだりからOver Driveというバンドと、小矢部くんだりから浮世というバンドの5バンドで、この出演者を見たときは正直、勝ったと思った。だって能登や小矢部から人がたくさん来るとは思えないし、Grand-Hi-Aceだって加賀。そうなると金沢がホームなのはうちとロック四十肩ということになるが、ロック四十肩はプログレでマニアックだから浮動票を獲得しにくいだろう。となれば消去法でうちが勝つという目算だ。
会場は片町のケントス。全然知らなかったんだけど、ここはもう一般営業はしてないのね。ホールレンタルとして貸し切りのパーティやライブなんかをやってるみたい。
さて、2時にライブがスタートし、1番手のOver Drive、続いて浮世、ロック四十肩と進行。思っていたよりお客さんが入っていたんだけど、僕らが準備をはじめたあたりからなんとなく減りはじめてきた。みんな僕らを観るまえに投票して帰っていく。そりゃないぜ。でもそんなことを気にしてもしょうがない。この時点では頑張って演奏することしかできないわけだからね。ここ数か月は練習不足で、前日の練習でもヒドい有様だったんだけど、僕らも成長したのかな、わりといいステージだったと思う。最後のGrand-Hi-Aceは演奏はすげーうまいしも曲もよく知られたコピーだからウケはいいと思うんだけど、いかんせん見た目が恐い。僕が子供だったら泣くね。中学生だったらカツアゲされることを覚悟する。いくら「オトナのライブ」だからといって恐すぎる。
で、全バンドが終了し、集計、結果発表とあいなった。生のドラム・ロールをバックに呼ばれたバンドは――ロック四十肩! まったく想定外の結果に僕は唖然としたよ。そりゃロック四十肩はうまいよ、すごいよ、だけど、キャラ的に1番は似合わない。ましてやお客さんの投票。どんなマニアックな客層かと。最後に出演者全員で記念撮影をした。僕の顔は引きつっていたに違いない。負けず嫌いだからね。

戻ってもそこは

郵政造反組が復党を希望しているッてどういうことかと。たとえば安倍首相が先の郵政解散は間違いだったと認めたというならまだしも、これから党に逆らわないのならアレは不問にするよ、という格好だ。造反組としては、決まってしまったものはいまさらどうしようもないし、不問にしてくれるなら復党して政治家を続けたいというところなのだろう。しかしねえ、国会議員ってなんなんだろう。議員としての仕事をするためには与党にいなきゃいけないという事情は分かるが、そのために信念を曲げるというのなら、その人は、目的があって議員でいようとしているのではなく、議員でいることが目的だということになる。まあ、僕が印刷屋に勤めているのも、何かを印刷してやろう!という志があってのことじゃないから、そういうのもアリなのかもしれないが、せめて国会議員や教師、お医者さんとか、先生と呼ばれるような職業に就いている人には、使命感を持ってもらいたいものだ。平沼赳夫には復党してほしくないなあ。

DVDで映画『PLANET OF THE APES/猿の惑星』(01年公開作品)を観る。68年作品の名作をティム・バートンがリメイク。オリジナルは僕の超大好きな作品で、あれを奇才がどうアレンジするのか期待して観たのだが、ガッカリの出来だった。ティム・バートンはリメイクじゃなくてリ・イマジネーションという言葉を使っているんだけど、つまり猿が支配する惑星というお題を使って、違うストーリィを作り上げているのだが、ラストのオチはオリジナルがまさに衝撃だったのに対し、これはニヤリという感じでしかないし、メッセージ性もない。ただ、猿の造形やアクションは素晴らしいので、一見の価値はあるかな。オチははじめ納得がいかなかったんだけど、よくよく考えて解釈が間違っていたことに気づき、さらに考えてようやく納得することができた。でも、名作はリメイクしようなんて考えちゃいかんね。

部長

今日部長に小声で「島田さん、島田さん」と何度か呼ばれた。どんなまずい用事かと、こっそり「何ですか?部長」と言うと、「どこでやるんや?」という。どこでって何のことだ?何を言っているのかと思って部長の手元を見てみるとそこには私の日報が。そういや昨日日報に“ライブに出ます”って書いたな。「ケントスです」って言うと、「そんなとこ出られるのか?」という。「キィーッ!出られるのかってどういうことですかー!」とあばれると「島田さんももう一流ミュージシャンやな」と言ってくれた。いや、無理やり言わせた。部長はもちろん部長だから偉いんだけど、前にライブに来てくれたこともあるきさくな人だ。部長は写真が大好きでいい一眼レフを持っているから「部長、そのカメラ持ってライブ撮影に来てください」と言ったら、本当に来てくれたのだ。ただ、若者達のパワーに押され、あまり前のほうに出てこられなかったため、写真はほとんどとれなかったようだ。今回も行ってあげよう・・・とは言われなかった。

やりすぎ

金沢市長選は現職の山出保が再選。これで5期目となる。すでに16年、さらに4年、現在74歳だから4年後は78歳。いくらなんでもやりすぎだし、歳を取りすぎだろうと思って調べてみたら、上には上がいるもので、大阪の貝塚市長は10選もしているし、新潟の阿賀野市長は現在84歳で残り2年の任期を残している。市長なんて誰だっていいってことなんだろう。そのうちペリカンやアザラシを市長にしようというところも出てくるかもしれない。山出のような知性も品格もないような人よりは可愛らしい動物の方がずっとマシだ。

DVDで映画『女が階段を上がる時』(69年作品)を観る。監督は成瀬巳喜男、主演は高峰秀子、森雅之ほか。銀座の高級バーで雇われマダムとして働く未亡人(=高峰秀子)のドラマを描いた作品。売上が下がったとオーナーからプレッシャーをかけられ、他に店に客を取られても、銀座の女として凛々しく振る舞う主人公だったが、だんだん追いつめられ、どんどん墜ちていく。観てる側からすると、もういいって、辞めちゃいなよ、と思うんだけど、ちゃんとそうできないような設定になっている(これがまた酷い)。だから懸命に立ち向かおうとするんだけど、その姿のまあ切ないこと。ちょっとやりすぎじゃないかと思わなくもないが、どうせやるならこのくらいやらなきゃいけないのかね。

子供の時間から見えるもの

小西淳也写真集『子供の時間』(06年)を見る。小西は金沢出身の写真家で、95年に日本写真家協会新人賞を受賞、これが初の作品集となる。最初にページをペラペラしたときは5秒くらいで閉じてしまった。とても見ていられなかったのだ。収められている作品は表題から分かるとおりどれも子供を写したものなのだが、子供の写真といって想像するような、無邪気で愛くるしい表情をした子供は1人もいない。かといって大人びた表情をしているというわけでもない。うまく言い表せないが、なんか見ているこっちが緊張感を強いられているというか、責められているというか、とにかくしんどくて見ていられなかったのだ。で、この感じはなんなんだろうと考えた。
人間はみな子宮でヒトとして形成され、外界に出た時点、つまり母親と分化した時点で1人の人間となるわけだけど、赤ちゃんの側からすると、このときにはまだ世界と未分化の状態にある。自分=世界であり、全知全能の神なのだ。それがやがて視力を獲得し、少しずつ世界と分化していく。このプロセスは大人からすると、赤ちゃんがだんだんと1人の人間として成長し、個性を持ち始める過程なので、微笑ましく楽しいのだが、赤ちゃんからするとたまったもんじゃない。世界の中心だった神の座から引き下ろされ、どんどん孤独になっていく過程だからだ。そしてやがて客観的な視座を獲得した子供は慄然とする。僕は(私は)この広い世界にたった1人で対峙しなくちゃいけないのか!と。わけも分からず世界と対峙させられたことに対する怒り、悲しみ、不安。小西が写す子供たちの表情から感じるのは、そういう子供たちの心情と、彼らを孤独にさらさせてしまったことに対する大人としての後ろめたさなのではないか。
あらためてページをめくる。彼らはときに戦士であり、ときに悲劇のヒロインである。世界と同一であった頃の甘美な時間を思い出し、いまだ見ぬ未来に思いを馳せる。子供の時間は大人のそれと比べてはるかにダイナミックで、ドラマチックだ。そこから見えるのは、人間と世界との本質的な関係性に他ならない。やっぱり、とても見ていられない。
ちなみに小西は――というか小西さんはと書かなくちゃいけないんだけど、会社の先輩でもある。
◆小西淳也ウェブサイト 524studio

一篇の詩が生まれるためには

宝島社が1998年の年頭に出した新聞広告で、背広にコートを着て、ステッキを持った老紳士の横に「おじいちゃんにも、セックスを。」とコピーが入った有名な広告があるんだけど、このおじいちゃんが詩人の田村隆一だってことを知って驚いた。田村は戦後現代詩を語るうえでの最重要人物の1人で、雑誌『荒地』を立ち上げ、『四千の日と夜』などの詩集を残している。またミステリ小説の翻訳家としても活躍し、クリスティやクイーンなどの翻訳をたくさん手がけた。で、僕は田村に対して、「四千の日と夜」という詩の冒頭部分、「一篇の詩が生まれるためには/われわれは殺さなければならない/多くのものを殺さなければならない/多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ」に表れているような熾烈なイメージを持っていた。おじいちゃんが田村だと知って驚いたのは、僕のもっとも好きな詩人がこの田村で、この広告もよく知っていたのに、おじいちゃん=田村だと知らなかったから、というのももちろんあるんだけど、それより、僕が抱いていたイメージとその写真とにギャップがあったからだ。これが田村隆一なのかと。でも、そういう目であらためて広告を見ると、たしかに一癖ある顔をしている。しっかしよくこれを引き受けたなーと思うんだけど、そこらへんが田村のすごいところなんだろう。いやそれにしても驚いた。ちなみにこの年の5月に最後の詩集『1999』を刊行、そのわずか3か月後の8月26日に人生の幕を閉じた。 享年75歳。この広告が公に姿を現した最後となった。

あいつを出すな

植草一秀が痴漢の現行犯で逮捕されてから2か月、氏は容疑を否認し、いまだに勾留され続けている。よく分からないんだけど、逮捕後の身柄拘束について刑事訴訟法では、逮捕段階で最長3日、勾留段階で延長を含め最長20日、通算で最長23日と決められているはず。たかが痴漢――とは言わないけど、普通の感覚からしても、60日以上も勾留されるのはおかしいんじゃないかと。ネットでは国策捜査だって声も挙がっている。現政権を批判する植草はけしからんから社会的に抹殺したというわけだ。ここらへんの真偽はともかく、植草氏は僕がもっとも信頼している経済学者の1人なので、1日も早く社会復帰してもらいたい。

DVDで映画『ハサミ男』(05年作品)を観る。殊能将之のミステリ小説を映画化したもので、監督は池田敏春、主演は豊川悦司と麻生久美子。原作を読んでいたので、あれをどう映像化するのかと思っていたら、おお、そうきたかと。途中まではまあまあ面白かったんだけど、真相が明らかになるにつれてどんどんくだらなくなっていき、終盤にいたってはディスクを取り出して円盤投げしたくなる衝動を抑えるのに必死だった。映画オリジナルのラストはまったく蛇足。あまりにひどすぎる。原作を読んでいて、どう映像化されたのか興味のある人は前半だけを観るべし、原作を読む予定がある人は絶対に観るべからず、原作を読んでいなくて読む予定がない人だけ観てもいい。

子どもたちが求めていること

東京都の教育委員会が自殺予告の手紙に対して「どんなことがあっても、自らの命を絶ってはいけません。相談する勇気をもってください。必ずだれかが受け止めてくれることを信じてください」というメッセージを発しているが、逆効果なんじゃないか。この手紙の真偽はさておき、手紙を書いた子供が求めているのは、そんなことをしてはいけない、誰かに相談しろ、という指導ではないはずだ。子どもたちが大人に求めているのは、俺たちが仕返ししてやる、という力強い姿勢だと思う。

ラウドネスのギタリスト・高崎晃のソロ・アルバム『MACA』(05年)を聴く。通算6枚目。高崎は僕が最も敬愛するギタリストの1人なんだけど、最近のソロ作品に関してはまったく評価できない。このアルバムも2度と聴くことはないだろう。全パートを高崎が務めているのだが、やれるから、やりたいからといって、実際にやられちゃうとファンとしてはキツいものがある。僕らは高崎のギターが聴きたいのであって、ボーカルやドラムを聴きたいわけじゃないのだ。