変わる経済システム

アメリカでは金融安定化法案が否決され、ダウ平均株価は777ドル68セント安という史上最大の下げ幅を記録した。ただ「史上最大」といっても、パーセントでいえばたかだか7%弱。日経平均もたいして下がらなかったし、メディアが騒ぐほど市場は混乱していないように見える。ならばこのままいずれ落ち着くかといえば、そうはならないだろう。やっぱりどこかで、投機経済から実物経済へのシフトは起こるだろうし、ドルの基軸通貨体制も長続きはしないだろう。ただいまのところ具体的なスキームがないから、とりあえず公的資金を注入して混乱は収束させようと。なんでマネーゲームの失敗に血税を投入しなきゃいけないんだよ!――というのは解るが、いまはそんなことを言ってる場合じゃない。

明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法 (アスキー新書 045) (アスキー新書 45)

佐藤尚之『明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法』(08年)を読了。いままではいわゆる「4マス」(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)に力があったので、広告はそこへ出しておけば間違いなかったんだけど、消費者とメディアの関係が大きく変わったことで、広告が届きにくくなった。これからの広告で必要なのは、広告と消費者との接点――コンタクト・ポイントを探し、そこでのコミュニケーションを「デザイン」することだと。とても勉強になった。広告関係者はもちろん読んでいるだろうけど、印刷や出版、放送などメディアに関わるすべての人は必読だろう。おすすめ。

気がついたらゲームに参加させられていた

麻生首相の所信表明演説を聞いて、ドン引きしてしまった。僕らはべつに自民党だろうが民主党だろうがどうでもいい。政局なんてどうでもいいのだ。麻生氏の言い方では、自民党は日本のため、国民のために法案を作っているけど、民主党が反対するせいで、良くなるものも良くならない。自民党は善、民主党は悪。だけど本当にそうだろうか。それならどうして民主党は議席を確保できるのだろうか。民主党に投票した人はみんな悪人だというのだろうか。それともみんな騙されたのだろうか。そもそも、自民党だろうが民主党だろうが、国民の代表のはずだ。ならば、民主党を敵視するということは、投票した国民をも敵視するということになるだろう。だけど僕らは、赤勝て白勝てのゲームに参加するために投票しているわけじゃない。それなら棄権する。

21世紀のロック (寺子屋ブックス)

陣野俊史[編]『21世紀のロック』(99年)を読了。この本の発行年は1999年、つまりこれは20世紀に書かれた21世紀についての本なわけだが、こういう趣向はそれだけで興奮しちゃう。ロックの歴史はまだ50年ちょっと。プレスリーがいまのロックを聴いたらなんて言うだろう。スリップノットを見たらどう思うだろう。次の50年は? ボーカルがいて、ギターがいて、というバンド形態はいまのままだろうか。新しい楽器は出てくるだろうか。どんなジャンルが生まれ、どんなバンドがデビューするだろう。未来のユーザーは20世紀のロックをどのように聴くのだろう――。妄想はいくらでも広がりそうだが、本書にはそのような楽しい話はいっさい出てこない。やれロックは死んだだの、60年代に死んでいただの、はじめから死んでいただの、そういう暗い話ばっかり。どうして評論家や学者はこうシニカルな物言いしかできないんだろうか。ていうか、そもそも本書がおかしいのは、書名に「ロック」と打ち出しておきながら、ロックの話があまりに少ないこと。編者が悪いのか編集者が悪いのか解らないが、ここまで散漫な共著も珍しい。アマゾンで買ったんだけど、書店でパラパラしていたら絶対に買わなかった。

アルコールが忘れさせるもの

定例のスタジオ練習。新曲はまだ歌詞もできていないし、演奏も覚えていないということで、とりあえず初期の曲を練習した。何回も何回も演奏したはずの曲ばかりなのに、ちょっと演らないと忘れるものだね。とくに熊崎さんの忘れかたはひどい。毎晩、アルコールを摂取するたびに1小節ずつ忘れているのだろう。酒をやめるか練習するかしてほしい。

ザ・スウィート・エスケイプ

グウェン・ステファニーのアルバム『ザ・スウィート・エスケイプ』(06年作品)を聴く。大ヒットした『ラヴ、エンジェル、ミュージック、ベイビー』に続く2枚目のソロ・アルバム。さて、たとえばこういうことだと思ってもらいたい。炒めた茄子は大好きだけど焼いた茄子は大嫌いな場合、「茄子が大好き/大嫌い」というのはやっぱり語弊があるわけで、面倒でも「炒めた/焼いた」と限定せざるをえない。グウェン・ステファニーは僕にとってこの「茄子」なのだ――と。ノー・ダウトでのグウェンは心から好きなんだけど、ソロのグウェンはとっても苦手。本作も前作も良質のポップ・アルバムだということは認めるけれど、どうしても好きになれない。グウェンはやっぱりノー・ダウトだって。いちおう活動中らしいから、早く新作を出してほしい。
◆公式サイト http://www.gwenstefani.com/

昨日のライブ

昨晩仕事の後に、同じバンド仲間の高西さんと熊崎さんがやっているもう一つのバンドMSSのライブに行ってきました。そもそもこのライブには自分も別の企画バンドで出演するはずだったのですが色々あってキャンセルすることになりご迷惑も沢山かけていたし、是非行かねばと思ってたんだよね。もう一つ行きたいライブがあったのですが、今回は断念。竹田さん次こそは行きます!色んなバンドが色んな節目のライブとして参加していたのですが、中でも滋野誠さんのライブはよかったなぁと。3年ぶりのライブということでしたが、新しいギターを迎え、3年の年月が加わって、また前とは違った魅力があるなぁと。そしてステージが見ていて本当に楽しい。ステージでちっとも動けない私としては本当に勉強せんなんことだらけです。立ち位置が既に違ってたもんね。で、テンションが途切れることなく、ハプニングにも演奏も途切れることなく、尻上がりに盛り上がっていくとこがすばらしい。そしておもしろい。いやあ、勉強しよ。それぞれのバンドがそれぞれに盛り上がって、最後のMSSは今までの中でもとてもよかったライブの一つになったんじゃないでしょうか。お客さんも盛り上がってたし、演奏もよかったし。いいライブでした。

野党らしい民主党

中山国土交通相の「ごね得」および「単一民族」発言で、民主党は罷免要求するらしい。大臣として相応しくないのはたしかだが、この時期、こういう野党らしいことは控えたらどうか。こういう記事が出るだけで、いかにも野党というイメージを与えてしまう。民主党はこういうのは本当にダメだ。

文学界 2008年 10月号 [雑誌]

僕は幼いころのことをほとんど覚えていない。覚えていたとしても断片的なシーンでしかなく、それがある程度しっかりとした記憶になるのは、小学校の6年からだ。それ以前となると3歳でも10歳でも変わらない。個人差はあると思うが、これはかなり遅いほうだろう。だから、小学校の同級生と会って昔話をしたりすると、僕がしたこと、言ったことを、僕以上に覚えているという事態になる。これは由々しきことだ。中村文則「月の下の子供」(「文学界」10月号)は、「赤子」のときの記憶からはじまる。

僕は、これまでに幾度か、幽霊を見た。
始まりは、タオルに包まれ、ある施設の裏口で寝ていた時のことだった。だがこれは当時の記憶というより、後になって記憶として、少しずつ、僕の中に根を張ったものだった。ぼんやりしているとはいえ、まだ赤子だった自分にこのような記憶があること自体、考えにくいことだった。

たとえそれが本当の記憶ではなかったとしても、重要なのは、それは自分の記憶だという確信ではないか。あのときお前は××××って言ってたよな――と、まったく覚えのないことを言われたときの不安感はたまったもんじゃない。それが事実だろうと嘘だろうと間違いだろうと、当人にもかかわらず解らないのだから。たとえ「後になって」でも、「根を張ったもの」であればいい。物語はこのあと、幾度か見たという「幽霊」の記憶が綴られていく。中村文則は2005年に「土の中の子供」で芥川賞を受賞。本作とタイトルが似ているから関連があるのかもしれないが、「土の中~」は未読なので解らない。文章がうまい人だと思った。物語としてはラストが凡庸すぎる。こういう話なんだから、着地のことは考えなくてもいいんじゃないかな。

Heavy and Metal

東京出張後半。クライアントとの打ち合わせ後、少し時間があったので話題のH&Mに行ってきた。オープン当初はすごい人だったらしいが、もう2週間くらい経つし、なんてったって今日は平日。混んではいるだろうけど――くらいに思っていたら、とんでもない行列だったのでひっくり返った。1000人以上いたんじゃないのか。並んでいたら明日になる。甘く見ていた。1年後にまた行こう。
◆H&M http://www.hm.com/jp/

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫、00年)を読了。唯野教授は大学で文学を教えるかたわら、大学には内緒で雑誌に純文学を書いていたら、芥川賞候補になってしまい――。大学教員の馬鹿馬鹿しいキャンパスライフを描くスラップスティック・コメディでありながら、優れた文学批評理論の入門書でもあり、さらに読者を混乱させるメタ・フィクションでもあるという怪書。文学批評が何様か――。これは徹底的に文学批評をおちょくった小説なんだろう。唯野教授は批評家と小説家の二足の草鞋をはいているが、筒井によれば、こんなことは現実にはありえない。大学でまともに研究するためには研究以外の活動はご法度。小説家は理論なんて勉強したらなにも書けなくなってしまう。そもそも大学と文壇とは規範が異なるため、相容れないのだ。だけど、批評家と小説家は対等な関係ではない。小説なしには批評もクソもないからだ。にもかかわらず、批評家は小説家を馬鹿にする。なんなんだこれは――。本作はこんな簡単な作品ではないんだけど、そんなふうに読んだ。批評家がなんぼのもんじゃい。本作が書かれたのは20年も前だが、いまのように素人がブログであーだこーだ書いている状況をどのように思っているのだろうか。

アンドロイドの憂鬱

東京出張前半。

麻生内閣の閣僚名簿が発表されたが、まったくおもしろくなかった。

Googleが開発した携帯プラットフォーム「Android」を搭載したはじめての携帯電話「G1」が発売され、話題になっている――はなっているんだけど、いまいち盛り上がらないのは、なんだiPhoneと一緒じゃん――てな感じだからだろう。そりゃそうだ。いまはどこが作っても似たようなものができるだろうし、そもそも、すでにアンドロイドは公開されているわけだから、今回の発売はたんにそれが形になったということでしかない。ただ、これがもし、端末がタダだとか、利用料がタダだとか、そういうことなら超サプライズだけど、iPhoneに比べればかなり安いとはいえ、わりと普通に価格設定されている。だから、盛り上がるとすれば、これから、じわじわとだろう。で、気づいたらスマート・フォンが当たり前になって、インターネットのロケーション・フリーが普通になる。さて、ガラパゴス化した日本の「ケータイ」はどうなるんだろう。どこかで大きく方向転換するのか、ますますガラパゴス化するのか。これはたんに携帯だけの問題ではなく、日本のインターネット全体に関わる大きな問題になるだろう。

日の丸ニッポンはどこへいく

野村ホールディングスは破綻したリーマン・ブラザーズのアジア太平洋部門だけでなく欧州・中東部門も買収するらしい。昨日は三菱UFJフィナンシャル・グループがモルガン・スタンレーに出資して筆頭株主になるという発表もあった。今回のアメリカの金融危機を契機に、日本の金融機関が大きく世界進出する――というのは聞こえがいいんだけど、それって大丈夫なのかと。たんに尻拭いをさせられるだけなんじゃないかと。心配でならない。

キッド・ピストルズの最低の帰還

山口雅也『キッド・ピストルズの最低の帰還』(08年)を読了。パラレル・ワールドのイギリスを舞台にパンク探偵が事件を解決する「キッド・ピストルズ・シリーズ」の第5作、13年ぶりとなる新刊。学生時代に夢中になって読んだシリーズだからとっても楽しみにしていたんだけど、まったくおもしろくなかった。このシリーズは「狂気には狂気の論理がある」をコンセプトに、犯人の狂気のロジックをパンク探偵が解読するというものだったハズだが、本作はどういうわけか普通のミステリー。もちろん、山口の作品だから普通といっても普通じゃないんだけど、このシリーズで扱うべきネタだとは思えない。タイトルが自虐的ギャグに思えてしまう。

明日、あさってと東京出張。

麻生さんが勝ったんだって

「麻生さんが勝ったんだって」「あ、そう」――なんて駄洒落が出ちゃうくらいおもしろくない総裁選だった。国民としては、まあ投票権があるわけじゃないし、盛り上がったところで意味がないというのもあるんだけど、問題だと思うのは、マスコミがこの代表戦を政局でしか見ていなかったということだ。そりゃあ、はじまるまえから麻生氏で決まっていたのかもしれない。だけどマスコミがやらなくちゃいけないのは、これが出来レースだということを伝えることではなく、たとえ出来レースだったとしても、総理大臣として誰が相応しいのかを問うことだったのではないか。森喜朗がどう言っただの、中川秀直がどう言っただの、小泉純一郎がどう言っただの、そんなことはどうでもいい。政局報道はうんざりだ。

The Arockalypse

ローディの3rdアルバム『The Arockalypse』(06年)を聴く。北欧フィンランドのコスプレ系ハード・ロック・バンド。いまちょうど、来月に発売されるアルバムの先行プロモーションで来日しており、ファン・ミーティング・イベントが行われたらしい(「ローディの新作リリース記念ファン・ミーティング・イベント大盛況!」ヨーガクプラス)。こういうルックス重視のバンドは好きなんだけど、このバンドは完全に見かけ倒し。曲もサウンドもNWOBHMな感じだし、新しさがまったく感じられない。はじめて聴く人は肩透かし必至。大仰なルックスとあわせて古典芸能として楽しむことはできるのかもしれない。
http://www.lordi.fi/

ホームなアウェイ

定例のスタジオ練習――の日曜日なんだけど、今日はミネさんとクマさんがMSSでライブだということで、福井のCHOPまで行ってきた。CHOPといえば福井を代表するライブハウス。ベイビーバギーでは未踏の地。正直、うらやましい――というのはさておき、対バンはみんな内輪だったから、出演者はアウェイ感がなくて物足りなかったんじゃないかな。遠征の醍醐味はなんてったって突き刺さる冷ややかな視線だからね。クマさんあたりはペットボトルとか投げられてほしい。僕が投げればよかったな。この変態野郎!とか言いながら。まあ、そういうことがない、アットホームないいライブだった。

ウディ・アレンの影と霧

DVDで映画『ウディ・アレンの影と霧』(92年公開作品)を鑑賞。監督、脚本、主演はウディ・アレン、他出演はミア・ファロー、ジョン・マルコヴィッチ、マドンナ、ジョディー・フォスターなど。1920年代、ヨーロッパのある町で、霧の夜になると出没する殺人鬼を捕まえるために住民らで自警団が組織され、そこにムリヤリ参加させられた主人公(ウディ・アレン)と、その町に来ていたサーカス団を飛び出したひとりの女性(ミア・ファロー)との交流を、ミステリアスかつコミカルに描く。不条理劇タッチなのでディテールは解らないところだし、モノクロでシリアスな雰囲気とウディ・アレンは完全にミスマッチなんだけど、それでもエンターテイメントにしちゃうところはさすが。いかにもウディ・アレンな作品だった。