ビリー・シーンがやってきた

あのビリー・シーンがD.N.A Rock Cafeでベース・クリニックをするというので行ってきた。さて、フライヤーにはいちおう「ライブ&クリニック」と書かれていただけど、ひとりで15分くらい――感覚値なので、実際は5分だったかもしれないし、30分だったかもしれない――ベース・ソロを弾き倒して、あとは質問コーナー。内容はベーシストとして心がけていることや、影響を受けたベーシスト、ライヴでのハプニングなど、思い出話や人生訓が1時間くらい――これも感覚値――続いた。表題をつけるなら、「ベースと私」といったところか。で、最後にまた弾き倒して、おしまい。僕はすごくおもしろかったけど、他の人たちはどうだったのだろう。ただ、演奏に関していえば、ビリー・シーンがどれだけバカテクでも、やっぱりベース1本じゃつまらない。ベースだけで何百、何千の音を聴くより、16小節でもいいからドラムとの合奏を聴きたかった。

危機が危機を呼び危機を呼んで危機を呼ぶ

日経平均株価は続落し、2003年4月に付けたバブル経済崩壊後の最安値を更新、26年ぶりの安値となった。この状態で、これは危機ではない――なんて言うつもりはまったくないけれど、あまりマスコミの喧伝を真に受けるのもどうかと思う。たとえば円高。たしかに輸出企業にとっては痛手だが、当然、ウハウハの輸入企業もいるわけだ。しかも原油や穀物は猛烈に値を下げている。ほんの数ヶ月まえにあれだけ原油の高騰を危機だ危機だと煽ったくせに、半値以下に下がったいまは完全にスルー。マスコミの役割というのは視聴者を不安にさせることなのだろうか。たしかに金融はヤバいけれど、まだ国民生活に広く影響が出ているわけじゃない。それなら、株は超バーゲンセールのいまが買い時ですよ!とか、いまこそ海外旅行に行きましょう!とか、ブランド品を買うチャンスです!とか、そういう扇動だってアリなはずだ。僕はここ数日、また少しずつ株を買い増ししはじめている。危機だからといって萎縮してしまっては、事態は悪化するだけだ。

隷属国家 日本の岐路―今度は中国の天領になるのか?

北野幸伯『隷属国家 日本の岐路―今度は中国の天領になるのか?』(ダイヤモンド社、08年)を読了。著者はモスクワ在住の国際関係アナリストで、本書は、1万7,000人を超える読者を持つ人気のメールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」をまとめたもの。これまでの著書もこの日記でおすすめしてきたが、本書もじゅうぶんおすすめできる内容だ。このような本がもっと広く読まれると日本の状況もずいぶん変わるのではないか。だけど、これまでの著書も本書もそうだけど、タイトルと装丁がひどすぎる。語り口は軽いけれど、内容はまともなのだから、もっと多くの人が手に取るようなものにするべきだ。この編集者こそ、誰より国益を損ねている。

DNAにビリー・シーンがやってくる!

明日は鶴来のDNAにビリー・シーンがやってくる。
ビリー・シーンがやってくるんだよ!
超びっくりやね。日本に何しにきてるんだろ。
しかもホールではなくてDNAってとこがすごい。すごいし近いし。
目の前で手の動きが見られる距離だもんね。
特別ものすごく好き!ってわけじゃないかもしれないけど、
やっぱりDVDなんかも持ってるし、なんたってスーパーベーシストやからね。
実は数日前からわくわくしている。
前日にあたる今日は明日の準備として、何を着ていくか考えている。
あと、パックをしようと思っている。
いや、そりゃ私を見るわけじゃないけどさ。乙女心やね。
矢沢のコンサートに行く前に散髪屋行くようなもんやね。
行ってきたらまた報告します。

デモテープといってもテープじゃない

定例のスタジオ練習。今日の昼間――というかほとんど練習直前に新曲「I Wanna Be」の歌詞をやっつけたので、これを中心に練習した。前回は特にドラムがカチャカチャでひどい演奏だったから、今日はある程度予習してそれなりに叩けたんだけど、なんかおかしい。デモテープとあまりに違うのだ。歌詞が悪いのか、演奏が悪いのか、何が悪いのか解らないんだけど、違う。なんだろう、何が違うんだろう。

日本の夜と霧

DVDで映画『日本の夜と霧』(60年公開作品)を観た。監督、脚本は大島渚、出演は桑野みゆき、津川雅彦、渡辺文雄など。学生運動がテーマの映画――という予備知識はあったんだけど、結婚披露宴のシーンではじまったから意表を衝かれた。しかもこの作品、思った以上にコアな学生運動の話だったんだけど、なんと最初から最後まで披露宴会場が舞台なのだ。新安保闘争で結ばれた新郎と新婦。そしてそれを祝う出席者も皆、かつての同志だった。とはいえ、彼ら/彼女らは一枚岩だったわけではない。党の方針変更に日和る者もいれば、ついていけない者もいる。過去を隠して暮らしている者もいれば、過去にできない者もいる。そういう様々な思いを秘めた出席者たちが、めでたいはずの場所で大論争を繰り広げるのだ。当時を知らず、知識もあまりない僕には、正直、退屈な作品だったけど、こんな感じだったのか――と再現ドラマを見るような感じで興味深かった。たかだか半世紀で時代は大きく変わっちゃうんだね。

初GEO

近頃日記スランプで書いては消しを繰り返している。
思いつくままつらつら書いて、かなりいったところで突然 はっ! と手を止め読み直す。
「これ、おもんなくね?」と自分で自分につっこむともう終わり。
公開する気持ちはなくなり削除して今日はおしまいと。
いかんね。いかんよ。

今日初めてGEOに行きました。
前にも行ったことあるかもしれないけど、ちゃんと店内を見回ったのは今日が初めて。
TSUTAYA党の私が見たことのないDVDが沢山ありました。
廃墟のDVDとか、工場のDVDとか。
マニアっているもんだからねえ。
私も知り合いに廃墟好き(?)がいます。
報告しなくては。
あと、スーパーファミコンのソフトとかゲームボーイの本体とかがあってワクワクしました。
2、3日で飽きるんだけど買いたくなるんだよね。
女神転生とか友達の家でやった覚えがあります。
200円くらいだった。
買っちゃおうかな。
うちにはほとんど使っていないピカピカのスーパーファミコンがあります。
あー、でもあれやりたい、普通のファミコンのスパルタンX。
あのチープな感じがなつかしい。
今時のゲームのリアルな感じもいいのですが、昔のゲームのドット感が非常に好きです。

所有から共有へ

小鳥ピヨピヨの「高校生は、音楽CDのことをなんと呼ぶか?」というエントリーが話題になっている。最近の高校生は、音楽CDのことを「マスター」と呼ぶらしいのだ。

つまりこういうことです。例えば、クラスで誰かが、
「おーい、浜崎の新しいアルバムのマスターゲトったぜ」
と言います。そしてクラスの子全員に回覧して貸します。
CDを受け取った子は、iTunesか何かにそのアルバムを取り込んで、次の人に回します。
回覧が終了したら、そのCDはポイ。
もうパソコンに取り込んだから、不要なのです。

こういう感覚なんだろうなということは頭では解るけれど、肌感覚としてはやっぱり解らない。いずれ音楽は手持ちのデバイスにダウンロードすることもなくなり、オンラインで聴くようになるだろうし、そうなったら「マスター」すらも必要じゃなくなるのだろうけど、それでも僕はなんらかの形で《所有》したいと思うだろう。僕はこの「所有」ということが、今後、あらゆることを考えるうえでのキーワードになると思っている。これまでは消費といえば所有だった。これからは共有。この感覚にいかにシフトするかが、今後の課題になっていくだろう。

ついに――というか、ようやくというか、YouTubeがJASRACと音楽著作権の二次利用に関する包括許諾契約を締結した(ITpro「YouTube、JASRACから音楽著作権の利用許諾」)。これによりJASRACが管理する楽曲を二次利用した動画を投稿することができるようになった。これまではライブでプロの楽曲を演奏し、その動画をYouTubeにアップすることは違法だったし、失礼だという思いがあったからやってこなかったが、これで解禁ということだ。ただ、それでもまだシステムとしては不十分だと思うし、音楽ビジネスとしてはまだまだ過渡期なのだろう。

新潮 2008年 11月号 [雑誌]

第40回新潮新人賞受賞作、飯塚朝美「クロスフェーダーの曖昧な光」(『新潮』2008年11月号)を読んだ。作者は現在25歳の女性で、調べたら金原ひとみと同い年。もうこういう若い子たちの時代なのかな――と思うとせつなくなる。僕も作家を志したときがあった。もう10年以上も前だ。さておき、読んでおもしろかったのは、この作品自体じゃなくて、選評。ここまで選考委員みんなに酷評されるというのもめずらしいのではないか。桐野夏生「図式的に過ぎる。図式の上に図式が加えられ、息苦しいだけで、図式を繋ぐ芯が見えてこない」、福田和也「『これはなんとしても受賞させなければ』というような義務感を醸成するような作品は、残念ながら一つもなかった」、町田康「今回は低調で、受賞作なしが妥当という意見も多かった。これは主催者にとっては不幸だが、候補者にとってはラッキーな事態である。なぜならライバルが少ないからである」、松浦理英子「積極的に推したい作品がなく、つらい選考会になった」、浅田彰「(本作が)有力候補として残ったのは私には驚きだった。古色蒼然たる擬似宗教的・擬似文学的な紋切型に基づいた薄っぺらなつくりのもので、まったく評価できないと思っていたからだ」――。推したのは桐野のようだが、その桐野にしても評価しているわけじゃないし、これではせっかく受賞しても作者は喜べないだろう。「良くない」と評価するのはポジション的に安全だし、その安全地帯から、自分の文学的教養の高さをアピールするような行為を「選評」と呼ぶべきなのか。たとえ気に入らないとしても、選んだのだから、それなりに評価するべきだろう。どうしても気に入らないのなら、必死に反対するべきだし、それでも受け入れられないなら、選考委員を辞退するくらいの気概が必要なのではないか。

木村カエラが向かったところ

木村カエラが車の運転免許を取得したことをブログで報告しているが、初ドライブの目的地が銀座のH&Mって、どうだそれ。ドライブで行くところじゃないだろ。てか、もう入れるのか? 僕が1か月ほど前に行ったときにはとんでもない行列だったんだけど、彼女の報告によると、「OPENしてから結構経ってるのに、やっぱりすごい人」だというから、まだ混んでいるようだが、「服を探すのに精一杯です。。。」というから、いちおうは入れるようだ。1年後にあらためて行こうと思っていたが、来月くらいには様子を見てこようか。

気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ

リズ・ダベンポート『気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ』(草思社、02年)を読了。僕はまさにこんな感じなのだが、本書によると、「平均的なビジネスマンは探しものをするためだけに1年間に150時間を浪費している」のだとか。見つからずに探し回る時間はもちろんなんだけど、たとえば、えっと、どの赤ペンを使おうかな――みたいな、ほんの数秒のロスでも、積み重なれば大きなロスになってしまう。チリも積もればなんとやら。僕の机は書類が散乱していて、チリが積もるスペースもない。本書は、机の片付け方にはじまり、スケジュール管理やファイルの整理法、情報の優先順位の付け方から、整理用の箱やペン立て、ゴミ箱や手帳の選び方、郵便物の仕分け方まで、こと細かく教えてくれる。正直、ちょっとウザいんだけど、なるほどと思うことはたくさんあった。でもたぶん、片付けられない人というのは、なるほどと思っても実行しないのではないか。実際、僕の机はまだぐちゃぐちゃだ。

あるロックドラマーの闘い

半年ほど前、ラウドネスのドラマー・樋口宗孝が肝細胞癌の治療のため活動を休止すると書いたが、バンドの公式サイトに樋口からのメッセージが掲載されている。それによると「癌は思いのほか進行して」おり、「生死をかけての大手術により、肝臓も半分以上摘出」、なお「余談を許さない」状況だという。ファンとしては当然、ドラマーとしての復帰を願うわけだけど、いまはとにかく回復を願うばかり。
◆ラウドネス公式サイト 
http://loudness.jp

ザ・プロフィット 利益はどのようにして生まれるのか

エイドリアン・J・スライウォツキー『ザ・プロフィット 利益はどのようにして生まれるのか』(ダイヤモンド社、02年)を読了。ビジネスにおいて利益を上げるための手法を23のモデルに分類し、それらを対話形式で1つずつ解りやすく解説していく。業界や業態、製品やターゲットが違えば当然ビジネスモデルは変えなきゃいけないわけで、あれが成功したからといって、これも成功するわけではない。ならばどうすればいいのか。本書はそんなときに役に立つだろう。大企業向けには書かれているが、個人事業主でも応用はできるだろう。おすすめ。


湖池屋の「ドンタコス コーンポタージュ味」が異常にうまい。前々からドンタコスには一目置いていたんだけど、この商品はリスペクトに価する。体にあんまり良くないんだろうなあ――と思いながらも、バリボリバリボリ、バリボリバリボリ食べちゃう。これでとうもろこしが国産になったら主食にしてもいい。
◆湖池屋 http://www.koikeya.co.jp

道のりは険しく長い

定例のスタジオ練習。新曲の「I wanna be」(仮)と「Scratch」(仮)のデモを渡して数週間、はじめて合わせてみたんだけど、残念な演奏だった。どちらも技術的にはたいしたことないんだけど、それなりに聴かせるのは難しい曲だから、はじめからうまくいくとは思ってなかったけど、ここまでかと。とくにヒドかったのはドラム。まあ、僕なんだけどね。来週までには練習して、あと詞も書かなきゃ!

ウディ・アレンのザ・フロント

DVDで映画『ウディ・アレンのザ・フロント』(76年作品)を観た。監督、脚本、主演はウディ・アレン――と書こうと思っていま調べて知ったんだけど、ウディ・アレンは主演のみらしい。ウディ・アレンにしては作品としてまとまっているなと思ったら、そういうことか。監督はマーティン・リット、脚本はウォルター・バーンスタイン。1950年代、ハリウッドで赤狩りが行われ、疑いのかけられた監督や脚本家、俳優たちはブラックリストに載せられ、業界から干されてしまった。カフェでレジ係をしていたウディ・アレン演じる主人公はそんな脚本家たちに名前を貸し、名脚本家として一躍有名になったが――という社会派コメディ。ストーリィもラストもしっかりしていて、ウディ・アレン作品にはない――てか、ウディ・アレン作品じゃないんだけど――ちゃんとした映画だった。

アキレスが足を止めるとき

東京出張後半。ここ2年ほど毎月通っているIT系の研修の日。最近よく思うのは、この業界の流れって本当に速くて、なにか新しい製品や技術、サービスができたと思うと、すぐにまったく新しいものが出てきて、ちょっとまえまで騒がれていたものがアッという間に忘れられてしまう。で、そういう新しい情報にキャッチアップするだけならいいんだけど、僕は情報屋じゃないから、仕入れた技術でなんらかのものを作らなくちゃいけないわけだ。そうなると、作るにはそれなりの時間がかかるから、完成したときには、まったく古臭いものができあがる羽目になると。ちょっとまえまでは何百万もかけて作らなくちゃいけなかったものが、いまはタダでできる――ということもしょっちゅうあるし、タダのくせにやたらに便利だったりするから立つ瀬がない。なんか世の無常を感じちゃうんだよね。

消費者行政担当相の野田聖子がアムウェイとズブズブの関係だなんて、完全にウケ狙いとしか思えない。