ブランド化は鉄板ネタ

お笑いなどで間違いなくウケる手堅いネタを「鉄板ネタ」などというが、最近の広告業界で鉄板ネタといえば「ブランド化」だろう。僕がクライアントに出す企画書には必ずといっていいほどこの単語が出てくる。たとえば「びーびー餅」という和菓子を作っている会社にたいしては、「それはたんなる商品名であってブランドではありません。ブランド化しましょう」という具合だ。ほどんどのクライアントは「どうやって?」と興味を示す。こうなればもうこっちのフィールドで話を進められる。

ブランドのデザイン (文春文庫)

川島蓉子『ブランドのデザイン』(09年、文春文庫)は、サントリーの「伊右衛門」「ウーロン茶」、キューピーの「キューピーマヨネーズ」、資生堂の「マジョリカマジョルカ」「クレ・ド・ポー・ボーテ」などを取り上げ、どのようなブランドが人々に愛され、長く残っていくのかを探る。それぞれの誕生から成長の軌跡が取材を通して丁寧にトレースされていて、取り上げられているブランドについてとても勉強になった。ただ淡々と書かれているせいか、読み物としては楽しめない。大企業のブランドだけではなく、小さいながらも成功したブランドも取り上げてほしかった。ブランドは大企業だけのものではないのだから。

21世紀型エキセントリック

The Fame

女性アーティストの作品で久しぶりにしびれた。レディ・ガガの1stアルバム『The Fame』(08年、日本盤は5月20日発売予定)だ。彼女を知るにはYouTube で Lady Gaga を検索してもらうのがてっとり早いだろう。形容詞で表現するなら「エキセントリック」。ウィキペディアによると、目指しているのはマドンナやシンディー・ローパーだそうで、たしかにマネてる感じは否めないが、いずれオリジナリティは確立されていくだろう。楽曲のクオリティも高いし、歌の表現力もすばらしい。おすすめ。
◆公式サイト http://www.ladygaga.com/

埋蔵金はロッカーの中にあった

元財務官僚で東洋大教授の高橋洋一が窃盗で捕まったそうだ(読売新聞「小泉政権ブレーン・高橋洋一教授を窃盗容疑で書類送検」)。なんというか、驚いた。はじめエイプリルフールかと本当に思ったくらいだ。最近の経済政策に関する提言ではこの人が中心だっただけに、大きな柱を失ってしまった気がする。どうしてこういうことになっちゃうのだろう。残念でならない。

スプラッタ映画の楽しみ方

スプラッタ映画に笑えるものが多いのは偶然ではない。傑作ゾンビ映画『死霊のはらわた2』はホラー映画というよりほとんどコメディー映画だし、タランティーノの怪作『キル・ビル』も監督はマジかもしれないが笑わざるをえない。人が残忍な方法で次々と殺されていくというのはきわめてクリティカルな状況だが、いや、だからこそ、対極の笑いがマッチするのだろう。僕らが必死に守っている命がいともかんたんに失われる脱力感。それを笑い飛ばすのがスプラッタ映画の楽しみ方なのではないだろうか。

片腕マシンガール [DVD]

映画『片腕マシンガール』(07年作品)は、笑えるB級ホラー・ファンにはたまらない作品だろう。監督は井口昇、出演は八代みなせなど。女子高生のアミはイジメで殺された弟の復讐をするべくヤクザの家に乗り込んだが、拷問によって片腕を失ってしまう。なんとか脱出したアミは、同じくイジメで息子を殺された両親の協力によって特訓し、失った腕の代わりにガトリング砲を装着、ふたたびヤクザのもとへ向かうが――。最初から最後まで血みどろの映像が続くので、そういうのが苦手な人、倫理的に受け付けない人には最悪の作品だろう。だけど、コメディだと思ってみることができれば、笑いどころはたくさんある。アメリカ資本で製作された日本映画なんだそうで、女子高生、ヤクザ、忍者、天ぷら、寿司など、ジャパニーズ・アイテムが盛りだくさんなのも笑える。笑えるだけじゃなくてバカなのがいい。こういうバカ映画は日本人にしか作れないのではないか。日本文化の奥深さを感じた。おすすめ。
公式サイト http://www.spopro.net/machinegirl/

歴史とはなにか

いわゆる「歴史」というのは誰かによって編集されたものにすぎず、客観的な事実の積み重ねではない。国家による歴史書から郷土史、社史、自分史まで、同じ時間を記述したものであってもその内容はまったく異なるし、ときには矛盾することもあるだろう。誰の誰による誰のための歴史か。この恣意性こそが歴史の本質といってもいい。

ベルカ、吠えないのか?

古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』(05年、文春文庫)は、犬の歴史だ。太平洋戦争中の1943年、アリューシャン列島のキスカ島に残された4頭の軍用犬からはじまる犬の歴史。ある者(犬)はアメリカの軍用犬となり、ある者は北の大地で狼と交わり、ある者は麻薬捜査犬となる。20世紀という戦争の世紀に翻弄されつつも、それぞれの地で逞しく生き、家系図を広げていく犬たち。20世紀とはこんな時代だったのか。彼らの系譜を辿っていくことで、まったく新しい歴史が見えてくる。こんな小説が他にあるだろうか。読者を選ぶ作品だから好き嫌いはあるだろうけど、間違いなく歴史に残る作品。おすすめ。

行くところを間違えた

今日は日帰りで東京出張だったんだけど、打ち合わせが終わってからビッグサイトで開催中の「プレミアム・インセンティブショー」に行ってきた。最近クライアントにノベルティを提案するのがマイブームなので、何かネタがあるかなと思ったわけだけど、思った以上にいろんなブースがあって面白かった。見た目にも賑やかだし、ペンやら何やらたくさんもらえたし、滞在時間はわずか40分程度だったけど、わざわざゆりかもめで行った甲斐はあった。ちゃんとネタもあったし。だけど、オリジナル・グッズを作ってる会社は、ロゴが入れられますよ、単価が安いですよ、ということをアピールするだけじゃなくて、それを使うシチュエーションとか、ストーリーとかをあわせてプレゼンテーションしなきゃダメだと思う。安く作れるというのは魅力的だけど、そこで勝負しても先があるとは思えない。

で、同時開催で「フォトイメージングエキスポ2009」というのもやっていたんだけど、時間がなかったからスルー。だけどGigaZineのレポートを見たら、なんだこっちのほうが楽しそうじゃないか!と。仕事のネタなんか探してないで、かわいいコンパニオンを探せばよかった。

小説を読むということ

かつて作家を志していた時期があった。大学受験が終わってから、社会人になるまで。それ以前は本なんてまったく読まないギター小僧だったのだけど、ちょっとしたきっかけで本を読むようになり、すぐに自分でも書きたくなった。だけどどう書けばいいかわからない。冗談のようだが、文章のどこで読点を打てばいいかわからず、小学校の国語の教科書をひっぱり出してきたくらいなのだ。それでも書いていくうちに、だんだんとわかってくる。なるほど小説には一人称で書かれたものと三人称で書かれたものがあるのか――などなど。たんに読むだけなら意識しなくてもいいことが、書くためには悩みどころだったり、とにかく小説は読むのと書くのとではかなり違いがあるのだ。ただ、これは優劣の問題ではない。書いたことがあるから良い読み手だとか、そういうことではないと思う。小説を読むということは、楽しんだり考えたり共感したりすることであって、書き手の立場から読解することはまた別だと思うのだ。

小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)

平野啓一郎『小説の読み方~感想が語れる着眼点~』(09年、PHP新書)は、タイトルにある「読み方」というより、サブタイトルにある「感想が語れる」ということにポイントが置かれている。たとえば〈主語〉と〈述語〉の関係に注目し、〈主語〉の中身を説明する述語を「主語充塡型述語」、ストーリーを進行させる述語を「プロット前進型述語」に分類、それぞれがプロットのなかでどのように機能しているかを分析する――といったふうに。こういう構造を理解することで、小説の違った楽しみ方ができるのは間違いない。だけど、知らなかったからといって小説を読むうえで支障はまったくないだろう。むしろ、そういうことを気にするあまり、本来の読み方を忘れてしまうことだってあるのではないか。だから本書は、一般の読者にはおすすめできない。小説や批評を書いている人、ブログで感想を書いている人には参考になるだろう。ちなみに本書では、実践として以下の作品がピックアップされ、平野が読解している。芥川賞作家がケータイ小説をどのように読んだか、そういう読み方もできる。

◆公式ブログ http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/

結婚式と涙腺

今月21日は富山まで友達の結婚式に行って来ました。

着いたら新郎新婦にお出迎えされてから受付。

ロビーには友達が飼ってた犬もちゃんと洋服を着て、いい子にしてました。
もちろん、結婚式にも参列。披露宴にもちゃんと親族席の横にいてかわいかった。
ペットも大切な家族だもんね。

披露宴ではテーブルに座ると『高西ひとみ様』と書いた紙の内側に新婦からの直筆メッセージがあったり、他にも色々と心のこもった演出のあるあたたかくて良い披露宴でした。

余興コーナーでは歌う前のスピーチでガチガチに緊張して声がスケキヨになりました。
歌は結局ベタベタ結婚式ソングですがMISIAの『Everything』

キーがなぜか半音低くなってて…歌ってても盛り上がりきれず納得いかない出来でした。歌い直したい。

あと、すごい久しぶりに一眼レフカメラを持って行きましたが上手く撮れたか心配…。

それにしても結婚式っていうのはホント感動するね。

歳をとると余計に涙もろくもなってるし。
今月は特によく泣いた。
仕事で行き詰まって精神的にやられていたある日…

お客さんの所で、その日に転属されるそんなに話した事もない方から「毎年僕や家族の誕生日覚えててくれて祝ってくれて嬉しかったです。ありがとうございました。」と最後に挨拶されて胸がいっぱいになりました。
挨拶された時は大丈夫だったのに…後で1人になってから色々なものが込み上げてきて泣きながら怪しく歩いてました。

今日もWBC、最後の方だけ観れたんだけど延長で2アウトからイチローが打った瞬間にものすごい感動してちょっと泣けた。

それから3月24日は亡くなった父の誕生日。
誕生日だなぁ〜とか思ってた日にドラマ『絶対彼氏』を観ていたらチョイ役で寺田農が!
この俳優を見るとホント父を思い出す。
そっくりではないんだけど…何だか雰囲気が似ている。

寺田農が出て来た瞬間に「うわ〜!ちょうど誕生日に!」とびっくりして涙が出てきた。
最近ホントに涙腺がおかしい。泣きすぎだ。


スパイがスパイをやめる日

もしも自分が日本じゃないどこか貧しい国に生まれ、そこから日本に送り込まれたスパイだとする。印刷屋で働き、週末にはアマチュア・バンドでドラムを叩いているが、裏では人知れず諜報活動を行っている。妻も子供もいるが、彼がスパイだということは知らない――。スパイを扱った小説や映画にはこのような二重生活を送る人物がよく出てくるが、いつも不思議に思うのは、なぜ彼らはスパイでいつづけるのか――ということだ。まあ、いまの生活でいっか――なんてことにはならない。それは祖国に対する愛国心だったり、指導者に対する忠誠心だったり、家族が人質にされていたり、他のスパイに見張られていたり、スパイをやめない理由は様々あるんだろうけど、スパイにとってもっとも過酷なのは、スパイでいつづけることだと思うのだ。

ディパーテッド (期間限定版) [DVD]

映画『ディパーテッド』(06年、アメリカ)は、立場の違う2人のスパイを描いた作品だ。警察官になったマフィアと、マフィアになった警察官。彼らはスパイとして活動していたが、やがて警察側もマフィア側も内通者がいることに気がつきはじめ――。香港映画『インファナル・アフェア』のハリウッド版リメイクで、監督はマーティン・スコセッシ、出演はレオナルド・ディカプリオ、マット・デイモン、ジャック・ニコルソンなど。あんまり書くとネタバレになっちゃうんだけど、主人公の2人は、最後までスパイでいつづけた。それぞれ理由はあるんだけど、もし自分だったら――と考える。きっと不安で不安でしょうがないと思うのだ。もしも戻れなくなったら――、たとえ戻ったとしても――。絶対的に何かを、あるいは誰かを信じることができないと、スパイでいつづけることはできないだろう。僕にはできない。
◆公式サイト http://thedeparted.warnerbros.com/
◆日本公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/thedeparted/

本が好き。

インターネットをしているとびっくりするくらいあっちゅうまに時間が過ぎていく。たいした目的もなくだらだらと次々とクリックしていくため数時間たった後自己嫌悪に陥ることになる。私ですらこんな風に日記を更新したりしているんだから、今このときにも世界中でどれだけの情報発信がされているかと思うとちょっと恐ろしくなりさえする。
そんなインターネット時代だが最近またなんとなく本を読んでいる。昔読んだ本なんだけど読み返してみるとあんまり覚えていない。最近ハードカバーの本を買わなくなってしまった。かさばるのもあるけど読書体力がなくなってしまったんだと思う。読み進め、読み終える体力というよりは読み始める気力かな。映画も娯楽大作しか見なくなってきた。昔はこれぞと思う本は必ずハードカバーで買ったし、1ページ目を開くのが楽しみでしょうがなかったのに。そんな人、私だけではない気がする。でも読書も慣れなんだろうか。ここしばらく少しずつ本を読んでいるとまた別のハードカバーを開くのがあまり苦にならない。とはいえ既に読んだ本だという気楽さもあるのだろうが。初めて読む本は当たり前だけど何がおこるかわからないのでドキドキして体力を消耗するのだ。映画もそう。自分でも影響を受けすぎだと思うのだが、こればっかりはしょうがない。映画を見て気分が悪くなることが時々あるのだが、本を読んでも気分が悪くなることや、どうしても残り3分の1が読めなくて、しょうがないからとばして最後のページから逆に読むこともある。ネットの文章より本の文章の方が言葉が重い。逆に言えばネットではどこか言葉が軽い。文体やレイアウトやデザインなどではなくてイメージなんだけど。本はリアルにそこにあって、閉じようがしまおうが確かにそこにあるんだけど、ネットだとあるようなないような。今日はあっても明日はないかもしれないし、誰が書いたかも定かではないことも多い。でも一長一短なんだろうな。それぞれに向いている分野があるんだろうし。でも本で育ったから両者の間に大きな違いを感じるけど、最近生まれた子なんかはどちらも変わりがないのかもしれない。・・・でもやっぱり本がいいなぁ。