目覚めると閉ざされた廃工場の中で、まわりを見渡すとロープで拘束された男や血を流して突っ伏した男、片手で吊り下げられた男など4人がいて、みんな気を失っている。ここはどこなのか、なにがあったのか、そして、俺は誰なのか――。
映画『アンノウン』はこんな幕開けだ。これだけなら最近流行りのいわゆるシチュエーション・ミステリーにありそうな設定だが、この作品はここからがミソ。男たちは次々に意識を取り戻すが、全員、記憶を失っている。周囲の手がかりから推測すると、どうやら工場内にいる5人のうち、2人は人質で、3人は誘拐犯らしい。そして1本の電話。誘拐犯の仲間がもうすぐやってくる。誰が人質で、誰が犯人なのか、誰が味方で、誰が敵なのか――。このシチュエーションがしびれるのは、自分が犯人として振る舞えばいいのか、誘拐犯として振る舞えばいいのかが、まったくわからないことだ。かといって記憶が戻るのを待つのも得策ではない。なぜなら他の男たちの記憶も同じように戻りつつあるからだ。ならばいまのうちに自分以外を殺してしまえばいいか。そうなった場合、誘拐犯の仲間が来て、自分が人質だった場合は、あっさりと殺されてしまうだろう。それならば仲間がいたほうがいい。誰を――?この作品はこのシチュエーションだけで半分以上は成功しているといっていいだろう。だけど残念なことに、思ったほどおもしろく展開しないのだ。ラストの二転三転も空しく空回りしてしまう。もっともっとおもしろくできるシチュエーション。もうこのネタが使えないと思うと、残念でならない。