三作目のジンクス

売家と唐様で書く三代目――という江戸時代の川柳がある。三代目が家を潰すというジンクスについて書かれたもので、初代は一生懸命に財を築くが、三代目となると財を使うばかり、とうとう家を売ることになり、中国風の洒落た文字で「売家」と書く滑稽さを皮肉った句だ。これに似たジンクスが映画にもある。シリーズ三作目はおもしろくない、という三作目のジンクスだ。

ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝 リミテッド・バージョン [DVD]

映画『ハムナプトラ3/呪われた皇帝の秘宝』(08年、アメリカ)は、まさに三作目のジンクスというべき作品だろう。監督は前2作から変わってロブ・コーエン、出演はブレンダン・フレイザー、ジェット・リーほか。舞台は前2作のエジプトから中国に移り、主人公のリック・オコーネル(ブレンダン・フレイザー)は、約2000年前に妖術師(ミシェル・ヨー)によって呪いをかけられ陶器にされてしまった皇帝(ジェット・リー)と対決する。皇帝の過去について描かれた出だしは良かった。だけど、時代が現代になったところで異常にダルくなってしまう。テンポは悪いし、ストーリーを引っ張るものが何もない。いつになったら皇帝が甦るのだろう。ただただ、それを待っている状態だ。だけど、期待は裏切られる。2000年も封じ込められていたのだから、その怨念や憎悪は相当なもののはず。だけど、それがあまり感じられないのだ。ここはCGでもなんでも使って、ど派手に演出してほしかった。皇帝とともに甦った兵士たちと、皇帝によって葬られた民衆たちとのバトルは見ごたえがあったが、肝心のジェット・リーとミシェル・ヨーとの対決は完全に肩透かし。これはもう監督が悪いとしか言いようがない。まさに三作目のジンクス。

◆公式サイト http://www.themummy.com/

アメリカ人はなぜ武装するのか

もう感覚が麻痺してしまって、ハリウッド映画で国民がいきなり銃を取り出してもなんとも思わなくなった。アメリカには国民の人口と同じくらいの銃があり、銃による死者は毎年3万人に達するそうだ。銃なんて持たなきゃいいのに――とは思うけれど、ここまで銃所持が広まってしまったら、実際、刀狩りをするのは難しいだろう。それにアメリカには全米ライフル協会という組織が、圧力団体として銃規制に反対しているとも聞く。だけど、アメリカで銃規制が進まないのには、こういう現実的な問題だけではなく、思想的な問題もあるのだ。

市民と武装  ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制

小熊英二『市民と武装 ―アメリカ合衆国における戦争と銃規制』(04年、慶應義塾大学出版会)は、アメリカ連邦政府憲法修正第2条「市民武装権」をめぐり、アメリカ人はなぜ「武装」するのか、そのワケを歴史的に検証する。

A well regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.

規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。

アメリカ連邦政府憲法修正第2条「市民武装権」(権利章典 (アメリカ)/ウィキペディア

この「民兵」とは、独立戦争でイギリス軍と戦った武装市民を指す。つまり、銃所持を規制することは、アメリカ建国の正統性を否定することになってしまうと。まあ、わからないでもない。だけど、そういう意味で「武装」している市民がいったいどれだけいるだろうか。思想的にはそうだとしても、現実的に考えるべきだと思う。

餃子は難しい

上手に作れない料理がある。いや、そんな料理は沢山ある。フカヒレの姿煮込みとか、干しなまこと干しあわびのうま煮とか、北京ダックとか、作ったことがない難解な料理は沢山ある。そんなことではない。超超一般的な“ぎょうざ”が作れないのだ。何度か挑戦したことがある。皮から作ってみたこともある。でもどれもこれも美味しくなかった。餃子のレシピだけで何種類も本に載っているが、うまくできたためしが無い。私の作りたて、焼きたて餃子より、スーパーが閉まりかけでタイムサービスのお買い得品の冷え冷え餃子の方が30倍はうまい。なんなんだろう。上手にできないっていうかまずいのだ。できれば捨ててしまいたいくらい。我慢して食べるけど。生まれてこのかた一番おいしかった餃子は、大学生の時学園祭に行って食べた中国人留学生の屋台の餃子だ。みんなニコニコ談笑しながら皮からハイスピードで餃子を作っていて、どんどん出来上がる餃子のあまりの美味しさに絶句してしまった。やはり本国のものにかなうものはなかなか無い。寿司も天ぷらもやっぱり日本で食べる方が美味しいお店が多いのは当たり前だ。友達の話ではピザやパスタもイタリアで食べるとまるで別物のように美味しいらしい。せめて宇都宮で餃子を食べてそのコツを掴んで帰りたい。

元気です

あまりに日記を書かないものだから、まるで吉田ブログのようですが、他のメンバーも元気にしております。すいません。

吉田さんのインポッシブルなミッションに参加させていただくことになり、20年ぶりくらいでピアノをちゃんと弾いた。あれをちゃんとと呼んでいいのかどうかは別だが、時間的にはちゃんとだ。やっぱり鍵盤はいいね。コードなんてちっともわからないけど、偶然弾いた和音がすごくせつなくていい音だったりして、ちょっとホロリときたりする。それはベースにはないな。まあベースには鍵盤にない魅力が沢山あるんだけど。なにぶん技術が不足しているからね。それにしてもアッキーの尋常じゃない能力にはびっくりした。なにより驚いたのがその記憶力。耳もいいし、もちろん腕もいいんだけど(私の100倍は上手だ)、それよりなによりあの記憶力。ミラクルだ。あの現場を見ただけでも今回のミッションに参加した意味があったと思う。しかも彼女の記憶力は音符だけに発揮されるわけではないようで、みんなが歌詞を見ながら一生懸命歌っているところを、目をつぶって間違えずに歌いきっていた。恐るべし。あの記憶力が私にもあったらもう少し人生変わっていたように思う。

インポッシブルなミッション II & III

インポッシブルなミッションのつづき。月曜日の夜にコーラスの録音を終えて――というつもりでいたんだけど、ひと晩で知らない曲を23曲も覚えて、歌って、録音して――というのはやっぱりムリがあった。月曜日は深夜の1時半くらいまでやって14曲、火曜日に残りの9曲。今日、すべてのミックスダウンをして、ミッションは完了した。納期はすこし遅れてしまったけど、よくやったと思う。コーラスにはたくさんの人たちに協力してもらった。ムチャなお願いにもかかわらず、じゃあ他にも誰か誘ってみると友だちを呼んでくれたりとか。凡庸な言葉だけど、音楽の力というか、輪というか、そういうアレをとても強く感じた数日間だった。しかも、終わったあとに「楽しかった」とか言ってくれたりして、なんて言葉を返せばいいのか。こちらとしては1時間でも2時間でも「ありがとう」を言い続けなきゃいけない状況なのに。ただ「またこういうのがあったら呼んで」という言葉には応えられないかもしれない。たしかにすごく楽しかったけど、こんなインポッシブルなミッションはもうこりごりだ。

協力してくれたみなさん、ありがとうございました。機会があったらまたみんなで集まりましょう。こんな過酷なミッションじゃなくて、もっと楽しいセッションとかで。今回の音源はCDにしてお届けしますのでお楽しみに。ただし著作権の問題があるので、個人で楽しむ範囲でよろしくお願いします。ほんとうにありがとうございました。

自民党を殺した男

昨日の東京都議会選挙では自民党と公明党が過半数を割り込み、民主党が第1党に躍進した(民主、都議会第1党…与党が過半数割れ/読売新聞)。この結果をもたらしたのが東国原氏であることは言を俟たないだろう。たんに自民党が衆議院選挙への出馬を要請しただけなら、「いつものこと」で済んだかもしれない。だけど今回は東国原氏が自分を総裁候補にすることを条件にしたことで、こういう自民党のやり方がいかに危険か、バカげているかを、国民に気づかせてしまった。自民党を応援するということは、東国原氏を日本の総理大臣にしたいということだ――そんな認識ができあがってしまったのではないか。このまま衆議院選挙が行われれば、今回の都議会選挙と同様、自民党は大敗するだろう。そのときは東国原氏は自民党を殺した男として歴史に名を残すに違いない。

インポッシブルなミッション

某放送局が高校野球にあわせて携帯サイトで出場校の校歌を着うたにして配信するから、音源から作ってほしい――はじめはこんな仕事のはずだった。CDなりテープなり音源をリッピングし、適当な秒数でトリミング、フェードイン/アウトの処理をして、音量をノーマライズ、なんらかのソフトで着うたに変換するだけの機械的な作業だ。これがまさかここまで厄介なことになるとは、依頼を受けた時点では想像だにしなかった。

著作隣接権――というものがある。音楽には作曲者や作詞者などの著作者がいるが、それとはべつに、実演者やレコード制作者にも制作物を保護する権利がある。それが著作隣接権だ。だから校歌を配信するとなると、著作権者だけではなく、音源を録音したときの実演者や録音業者にも了解を取らなければいけない。だけど、校歌の音源はたいてい当時の先生と生徒が歌っていることが多い。そんな人たちを探し出すなんて不可能だろう。つまり誰が実演しているかが不明の場合、その音源を配信することはできない。で、それなら新しく録音すればいい――そういう厄介なことになったわけだ。

県内の高校は約50校。そのうち半数近くの著作隣接権がクリアできなかった。与えられた時間は1週間。この間に20数曲のピアノ伴奏とコーラスを録音しなければいけない。それでバンド仲間に手伝ってもらうことにした。土日にピアノを録音し、月曜日にコーラスを録音する。まずピアノは島田さんとアッキーに依頼。いちおう楽曲の譜面はあるのだが、半分くらいは歌メロのみで、伴奏は耳コピしなければいけない。キーボードをラインで録音してと思ったが、それを1、2日でやるのは不可能だろう。なにせ20曲以上あるのだ。知っている曲ならともかく、はじめて聴く曲ばかり。コピーして、覚えて、弾いて、なんてムリだろう。だから midi でリアルタイム録音し、Pro Tools 上で編集することにした。いわゆる打ち込み。それでもムリかと思ったが、島田さんとアッキーが朝から夜中まで作業をしてくれたおかげで、なんとか伴奏は完成した。ふたりにはほんとなんとお礼を言ったらいいか。もしも今後、ふたりが仕事でヘビメタのドラムが必要になったときには、一生懸命に叩きたいと思う。

さて、明日はコーラスの録音。はたしてこのインポッシブルなミッションは成し遂げられるのだろうか。

挙動不審なパール

某大学のウェブサイトで Perl の CGI を修正する案件があって、自分で書いたプログラムではないんだけどとりあえずファイルを持ち帰って修正、アップしに行ったんだけど Internal Server Error が出て動かない。Perl のパスは合ってるし、所有者も同じ、転送モードも間違ってないし、もちろん属性も確認済み。で、ためしに動作中のファイルをダウンロードし、リネームだけしてアップしてみたら、なぜか動かない。だけど、FTP 上でリネームすると動く。いろいろやってみた結果、状況としては、すでにアップされているファイルはいいけれど、新しいファイルは一切受け付けませんよ――という感じなのだ。こういう現象ははじめてだったので、これはお手上げかなと諦めかけていたんだけど、偶然、Perl のパスを変えたら動作することを発見。これまでのパスとは違うんだけど、ちゃんと動くのだ。結局、作業は無事に終わったわけだけど、なぜ Perl のパスを変えたら動いたのか、というかこれまで動作していたやつはなぜ動いているのか、わからずじまい。

ロックンロールを遡る

また似たようなのが出てきたな――はじめてレイザーライトを聴いたときはそんな印象だった。実際、当時はいわゆるロックンロール・リバイバルの真っ只中だったし、同じイギリスのリバティーンズに比べると扱いは小さかった。その後、似たようなバンドたちはオリジナリティを求めて少しずつ変化し、それぞれ違うバンドになっていくわけだが、多くが現代的なアプローチを取り入れたり、リズムやアレンジでクセのあることをするなか、レイザーライトは、さらに時代を遡るようなスタンスを採っているように思える。

スリップウェイ・ファイヤーズ

レイザーライトの新譜『スリップウェイ・ファイヤーズ』(09年)には、ロックンロール以前の風景さえ垣間見える。曲によってはサイモン&ガーファンクルさえ自然に歌うだろう。体にすっと入ってくる普遍的なメロディ。それでいてオリジナリティを感じさせるのは、ソング・ライティングの才能だろう。長く活動してほしいバンドだ。

◆公式サイト http://www.razorlight.co.uk/

善意の押し付けが死を選択させる

テレビで「たかじんのそこまで言って委員会」をなんとなく見ていたんだけど、テーマが臓器移植になったところで沸騰した。パネラーのほとんどが改正法のA案に賛成で、宮崎哲弥はD案支持、ざこば師匠は臓器移植自体に反対というスタンスだった。僕は前に書いたとおり、臓器移植には反対の立場だ。ざこば師匠は、他人の臓器をもらってまで生きたくないと発言したら、パネラーの三宅久之さんがそれにたいし、A案は臓器を提供する/しない、臓器を提供される/されない、という4つの権利を認めるもので、強制ではないのだから、嫌なら断ればいい――という意味のことを言っていた。僕が臓器移植に反対するのは、まさにここだ。提供する/しないは法的に選択できるが、臓器移植は善いことだという世論が形成されれば、提供しないという選択は難しくなる。提供しなかったことが公表されないとしても、後ろめたい気持ちは残るはずだ。ほんとうは脳死を認めたくなくても、圧力――善意の押し付けに負けてサインしてしまう人も出てくるだろう。三宅さんは、本当に提供したくなければ、しないはずだと言うかもしれない。だけど、そんなに強い人ばかりではないと思う。