予防接種

今日、小学校以来ではないかと思うのだが、インフルエンザの予防接種に行ってきた。健康な成人女性である私はもちろん新型の予防接種は受けられるわけもないので、季節性のやつ。だいたい予防接種なんて行かなくたってうつらんもん!と今まではたかをくくっていたのだが、今年は母にどうしても受けてくれとせがまれ、今年だけやぞ!と何だか意味のわからない上から目線でしぶしぶ病院に行ってきたのだ。そもそも病院に行くと余計な病気をもらってきそうで嫌いだ。でも病気なのにさっさと病院にも行かずぐずぐずしてどんどん悪くなってしんどいアピールばっかりする人も嫌いだ。それはうちの父さんですが。話はそれたが、病院に行く前に「今日インフルエンザの予防接種受けるんだ。」と職場のお姉さんに言うと「めちゃくちゃ痛いらしいよ。友達泣いたって言うとった。」と言われた。すぐにお母さんのところに飛んで行って「予防接種キャンセルできないかな?」と聞いたら「もう準備もしとるから無理や。今年はがんばって受けなさい。」と。受けたくないのを受けようっていうのに、金はとるわ痛いわって・・・いやだー!!!とじたばたしてみたが、お金がかかって痛いのは当たり前なので、大人だから大人しく行ってきました。病院に着いて血圧と体重と体温測ってお医者さんの問診が終わると、看護婦さんが注射を取り出す。にらみつけながら、「先生、痛いらしいですね・・・。」と言うと、もう80歳近いお医者さんは、ひゃっひゃっひゃっと笑って「少しだけや。」と言った。注射器を激しくにらみつける私に看護婦さんがびびったのか「はい、刺します。ちょっと痛いですよ。はい、ささりましたよ。さ、ちょっとお薬入れますからちょっと痛いですよ。はい、もう少しですよ。はい、終わりました。」とわずか10秒ほどの注射に逐一実況中継を入れてくれた。そして「思ったより痛かったですか?」とやさしく聞いてくれる。なんだか小学生みたいだと反省して「まあまあです。」とこれまた意味のわからない返事をしてお辞儀をして帰ってきた。お風呂も少しのアルコールもOKだということで、ちょっと肩透かしだが、これでしばらくはインフルエンザで死ぬこともないということで・・・まあよかったよかった。もう行かないけど。

ナメクジ

うちの畑にナメクジが大量にでて葉物野菜を食い荒らされて困っている。ナメクジってどうしてナメクジっていう名前なんだろう。名前も悪いと思う。ナメでクジなんだよ。なんとなく陰湿な感じがする。多分“ナメ”っていう音がだめなんだと思う。青空を見上げ、羽ばたく鳥を見て「ごらん、あれがナメクジだよ!」・・・ってまったく爽快感がない。もっと“ハネクジ”とか“ヤマクジ”とか“ソラクジ”とか“タカクジ”とか・・・まあどれもいまいちな名前だな。ネットでナメクジについて検索すると、ナメクジの食べ方っていうのがでてきた。ウゲェ。ナメクジは巻貝の仲間だからとかなんとかかんとか。ナメクジを生食すると心臓にいいとかっていう言い伝えがあって、今でもしている人が稀にいるらしい。でも寄生虫がいるから危険らしいので、良い子のみんなは真似しないでね。どうしても食べたい場合は塩茹でらしい。絶対食べんけど。ナメクジはビールが大好きなので、明日はビールを仕掛けてみようと思っている。許さないぞ!ナメクジ!

詩人が児童文学を書いたら

最近、日本の現代詩を勉強していて、まあ、よくわからないんだけど、それでも気になる作品とか詩人とかはあって、たとえば天沢退二郎なんかはとてもユニークで刺激を受けた。その天沢――余談だが【あまざわ・たいじろう】読みをどうしても覚えることができない――が児童文学を書いているというので、早速読んでみた。

光車よ、まわれ! (ピュアフル文庫)

天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(08年、ピュアフル文庫)は1973年の作品で、天沢は37歳くらい、詩人として活動しながら明治学院大学でフランス文学を教え、また宮沢賢治の研究者としても名を成していた。とても多才な人なのだ。ストーリーは、現実の世界が水面を境とした裏側の世界から侵略を受け、小学6年生の一郎が仲間とともに、キーアイテムの「光車」をめぐって戦う――というもの。あらすじは児童文学らしく他愛ないものだが、そこは天沢、終盤は全然「らしく」ない。子供が読んだらどんな感想をもつのだろうか。子供の頃に読みたかった――とは思うが、自分の子供に読ませるのは躊躇しそうな作品。

うちの歌姫

今日は日曜定例のスタジオ練習日なのだけど、ひとみさんがピンでライブに出るというのでみんなで応援に行った。会場となった小松のサブリナはナイトなスナックなのだけど、今日はそこで演奏している箱バンと歴代の歌姫によるライブで、そこにどういうわけなのかよく知らないんだけど、うちの歌姫と、バンド仲間のらせんも参加すると。で、歌姫というだけあってみんなうまかったんだけど、そんななかでも僕はやっぱり――贔屓目かもしれないけど、うちの歌姫が良かった。以前も書いたけど、ひとみさんはとにかく声がいいのだ。技術はそれなりに練習すればなんとかなるけど、声ばっかりは持って生まれたものだから、ある程度は変えられるとしても限界がある。楽器奏者と歌い手とが決定的に違うのはここだろう。素晴らしい演奏は誰だってやろうと思えばできるが、素晴らしい歌を聴かせられるのはほんの一握りの人たちなのだ。ひとみさんの課題は音圧のコントロールとオリジナリティだと思うんだけど、そこをクリアできればほんとうに良い歌姫になれると僕は確信している。

写真はスナックで歌うひとみさんと、それを全然見ていない熊崎さん。

とうとう iPhone へ

とうとう10年来の付き合いだったドコモをやめ、ソフトバンクの iPhone に変えた。これまで意地になってドコモを使い続けてきたわけだが、やはり時流には逆らえず。いつでもどこでもネットが使えるという環境というのはなくてはならなくなっている。これまでだってドコモの端末でネットは使えたわけだが、iモードブラウザでの閲覧は快適というのはほど遠かった。今年発表されたiモードブラウザ2.0にはたしかに驚かされたが、それでもやはり快適とまではいえないものだった。で、iPhone だが、もちろんデメリットだってないわけではない。まずおサイフケータイが使えないこと。これまで iD やモバイル Suica を利用していたので、これが使えなくなるのは痛いのだが、天秤にかけて妥協した。あとはいわゆる携帯サイトが利用できないこと。これも地味に痛いが、まあしかたない。あと、じつはこれがもっともネックだったわけだが、ソフトバンクという会社が好きじゃないということ。だからドコモから iPhone がリリースされることを心から願っていたのだけど、最近はそんな噂すら雲散霧消してしまったので、諦めるしかなかった。で、とうとう iPhone へ。これまでも iPod touch を使っていたから、違いといえば Wi-Fi 環境じゃなくてもネットが使えるようになったことと、電話としても使うようになったことくらいしかないから、たいして驚きもないのだけど、ただアドレス帳の馬鹿さにはあきれてしまった。あと日本語変換もあらためて不便だなと。ここらへんはそのうち改善されることを期待しよう。 iPhone が他のケータイともっとも違うところは、この《そのうち改善される》というところなのだから。

笑えないコメディ映画

コメディ映画ではあっても、俳優も脚本も何かも笑えないとしたら、それは果たしてコメディ映画なのだろうか。そもそも「コメディ映画」とはなんなのだろう。《笑えないコメディ映画》というのは語義矛盾のような気がする。

1980(イチキューハチマル) [DVD]

映画『1980』(03年、日本)は、コメディ映画とは何か――を突きつける怪作。監督はケラリーノ・サンドロヴィッチ、出演はともさかりえ、犬山イヌコ、蒼井優など。個性的な3姉妹のドタバタを描いた学園コメディ――だと思うのだが、まったく笑えないのだ。たんに退屈なふざけた映画としか思えなかった。これを観るくらいなら、ただぼーっとしていたほうがよっぽど時間つぶしになるだろう。笑えないコメディ映画ほど食えないものはない。

笑いのツボはどこにある

笑いのツボ――という言葉は、人によって面白いと思うポイントが違うことを前提としているが、人体のツボはどこに何があるのかは個人差がないことを考えると不思議な言葉だ。「オレの百会はヒザにあるんだけどさあ」なんてことは、普通、ない(普通は頭頂部)。《ツボ》というものから考えると、笑いのツボもまた同じところにあるべきではないだろうか。

罪とか罰とか [DVD]

映画『罪とか罰とか』(09年、日本)を観ながら、ひょっとして自分の笑いのツボはかなり普通と違うのではないかと真剣に考えた。監督はケラリーノ・サンドロヴィッチ、出演は成海璃子ほか。売れないアイドルがひょんなことから一日警察署長となり――。先日観た同じ監督による『おいしい殺し方』がかなり笑えたので観たのだけど、まったく笑えなかった。同じようなコメディ映画なのに、どうしてこれほどまでに笑える/笑えないの違いが出るのだろう。『おいしい殺し方』について書いた日記ではコメディは俳優ありきだと書いたが、出演者が違うというのは大きいだろう。『おいしい殺し方』のメインキャスト――奥菜恵、犬山イヌコ、池谷のぶえは強烈だった。この作品にもこの3人は出ているのだが、メインではない。成海璃子はめっちゃめちゃかわいいが、コメディには向いていないのではないか。いや、もしかしたら人によってはツボなのかもしれないが。

007慰めの報酬

なんかしらんが寝ても寝ても眠い。ここしばらく寝不足だったので、昨日は夜9時から布団に入り、半分寝ながら『007 慰めの報酬』を見た。世の中の評価は知らんが私はあんまり面白くなかった。ボンドがすごく人間くさかったから。将来を誓い合ったのに死んだ恋人(ボンドが将来を誓い合う!?)の復讐心に燃えるとか。何をしてもなんかボンド特有の余裕みたいのが感じられなかった。あとびっくり発明グッズみたいのがなくて、かわりに現実的なものすごいハイテク機器が登場したり、ボンドガールとは結局さっくりチューしただけだったし。映像自体もすごく迫力があって、カメラが次々と切り替わりスピード感たっぷりなんだけど、逆に他の最近のアクション映画と変わらない気がした。そう、なにも007じゃなくてもいいな、っていう感じだったんだよね。全体を通してすごくスタイリッシュでドライな感じがした。まあここしばらく007見てなかったし、最近はずっとこんな感じなのかもしれないけど。私としては決まり事を全部クリアした上でうまく新しい映画に作り上げて欲しかったんだよなぁ。ハリウッド映画だけどちゃんと英国っぽいところも残してさ。水戸黄門見たら、洗練されたストーリーとカメラワークで、お銀は風呂に入らず、はちべえは団子を食べず、印籠を出さないうちに敵が降参してしまったみたいな感じなんだよ。まあ、やしちはちゃんと風車を投げ、かくさんは力持ちで、すけさんは剣が達者なんだけどさあみたいな。まあこんな見方で007見てるのは私だけかもしれないので、あまり参考にはなりません。

家族小説

家族小説という言い方がある。ジャンルではないのだけど、家族の愛情や確執、関係性などを中心に描いたものをこう呼ぶわけだ。古典ではたとえばドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なんかはこう呼んでもいいだろう。最近のものでいえば桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』とかもそうか。純文学、ミステリ、SF――ジャンルを問わず、家族というのは重要なテーマだ。

あかね空 (文春文庫)

山本一力『あかね空』(04年、文春文庫)はジャンルとしては時代小説だが、これはそう呼ぶよりも《家族小説》と呼ぶに相応しい作品。上方から江戸に下った豆腐職人の親子二代にわたるドラマを描く。京と江戸との豆腐の違いに悩みながらも、妻と二人三脚で少しずつ商いを伸ばしていくが、長男が生まれ、次男、そして長女が生まれてから、家族はしだいにぎくしゃくしていく。後半は子どもたちの物語。はたして家族は崩壊してしまうのか、それとも再生できるのか――。前半は軽快に読み進められるのだが、後半は読むのがしんどくなってくる。ちょっとした行き違いと、後戻りできない大きな誤解。切なくて胸が押しつぶされそうになる。ページの中に入っていって、違うんだよ!と叫びたくなる。家族とはこれほどまでに強く、弱いものなのか。家族について考えさせられた。直木賞受賞作。おすすめ。

まじめな日記

仕事が暇だ。毎年のことながらこの時期アパレル業界は展示会中で本発注がこないため、毎日展示会用のやれ300枚だの500枚だのといった小さなこまごまとした仕事に追われている。それも今年はあまり追われない。不景気のあおりだなぁとしみじみ感じる。発注量が減ったこともさることながら、新しいものが本当に少なくなった。毎年新しいものをどんどん作ってきていたのに、昨年あたりから去年と同じものを注文するお客さんがどんどん増えて、今年は新しいものを作ったり見積もりしたりすることが本当に少ない。景気のせいもあるのだろうが、みんな気持ちが守りに入っているのかもしれない。

そんななか、先日高校の同級生から突然電話がかかってきた。「私○○という会社をしております○○というものですが、そちらに営業の方で島田という女性がいらっしゃると思うのですが。」そうはきはきした口調でかかってきた電話の主にはまったく心当たりがなかった。「すいません、うち小さな町工場なんで営業とかないんですが、私、島田です。」そう答えると突然「おお!島田さん元気やった?俺や俺。○○や!」と彼が言った。そうだ、彼とは何年か前の同窓会で会った際に、案外近くに住んでいて、案外似たような職種で、お互い自営業だということがわかって少し話をしていたのだ。「ちょっと島田さんに聞きたいんだけど・・・」とそこから質問の嵐。細巾のうちとは違い彼の会社は広巾で、スカーフやらなんやらを織っているらしかった。これにつけるのはどうだこうだ、やれシャトルがどうだ、レピアがどうだ・・・。似たような職種だけどやっぱり違っていて説明に苦労したけど、なんだかすごく楽しかった。同級生とこんな繊維の話をするようになるとは想像もしなかったし、何年か前にチラッと話していた私の職業についてちゃんと覚えていてくれて質問の電話をくれたことがとてもうれしかった。彼が自分の職業を愛しているかどうかはわからないが、前に同窓会で話したときもそう思ったけれど、“ああ、この人はすごく楽しんで仕事をしているなぁ。”と強く感じた。繊維の仕事をしている年数は向こうの方が少しは長いだろうけど、そんな差をはるかに超えた知識差があり、今更ながら自分の仕事の仕方を恥ずかしく思った。本田宗一郎が、人は楽しんでいるときに最も力を出すのだと言っていたそうだが本当にその通りだと思う。仕事の中に楽しさを自分で見つけてがんばっていかなくては、と思う。次に電話がかかってくることがあるならば、そのときまでにはもっともっと勉強して一目置かれるようになっていたい。と、今日はまじめな日記でした。