正月休みは今日で終わり

この休み中に観た映画は以下の6本。

読んだ本は以下の5冊半。

アメリカが振り上げた拳――映画『グラン・トリノ』

アメリカがイラク戦争をはじめたころ、メディアではよく「大義」という言葉が使われた。イラク戦争に大義はあるのか。アメリカはCIAからイラクは大量破壊兵器を持っているという報告を受け、それを大義として戦争をはじめたのだ――ということが言われたが、その後、CIAの情報がウソだったとか、アメリカはとにかく石油を確保したかったとか、ドルを防衛するためにだったとか、様々な言説が飛び交ったが、結局、あの「大義」とはなんだったのかという総括はなされないまま、戦争は現在も続いている。アメリカはそういう国だから――といえばそれまでだが、アメリカは「大義」がないとやっていけない国だから、そう簡単に振り上げた拳を下ろすわけにはいかないのだろう。

グラン・トリノ [DVD]

映画『グラン・トリノ』(08年、アメリカ)は、大義で振り上げた拳をどうするべきか――という作品だといえるだろう。監督はクリント・イーストウッド、出演もクリント・イーストウッドなど。彼が演じるのは孤独で頑固な老人。彼は朝鮮戦争の帰還兵で、かつてはフォードでエンジニアとして働いていたが、妻に先立たれ、子供たちからも煙たがられている。また彼が住む町はかつては白人の労働者階級の住宅地だったが、いまではアジア人が住み着いていた。ある日、隣に住む少年が、同族のギャングたちの指示で彼の愛車――グラン・トリノを盗もうとし――。クリント・イーストウッドが演じるのは、アメリカそのものだといってもいいだろう。彼はアジア人に対して拳を振り上げる。その拳に「大義」はあるわけだけど、それは本当に正しいことなのか、もしも間違っていたとしたら、どうするべきなのか。物語のラストでは、彼なりの答えが示される。だけどそれはハッピーエンドではない。この映画が胸を打つのは、こういう結末しかないということを、僕らに強く突きつけるからだろう。名作。おすすめ。

届かない年賀状――東浩紀『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』

たくさん届く年賀状を確認すると、毎年1枚くらいは間違った家のものが混ざっている。吉田なんて平凡な名前だから、隣町の吉田さんのとかが来ちゃうわけだ。こうなると当然、自分が出した年賀状も別の家に届いているのでは?と疑ってしまう。僕は間違ったものを正しい住所のところへ持っていくのは面倒だから、ポストに入れてやり直しをさせるのだけど、そのまま捨てちゃう人もいるだろう。出したのに届かなかった年賀状。郵便というシステムにはこういう「誤配」という可能性がある。だけど僕らがそれを確かめるのは容易ではない。ちゃんと届いた?なんて確認するのは野暮だし、信じるしかないわけだ。

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

東浩紀『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(98年、新潮社)は、コミュニケーションにおける誤配の不安について書かれたものだ。副題にあるジャック・デリダというのは20世紀に活躍したヨーロッパの哲学者で、ポスト構造主義といえばこの人!というくらいの人。「脱構築(デコンストラクション)」という概念で知られ、これは哲学のみならず、様々な分野に影響を与えた。「脱構築」というのは難しいのだけど、本書では「形式化」についてポール・ド・マンという批評家の言葉を借りて、「『脱構築』とは、テクストをオブジェクトレヴェル(コンスタティヴ)で読むかメタレヴェル(パフォーマティヴ)で読むか決定できない、その決定不可能性を利用してテクストの最終的な意味を宙吊りにする戦略にほかならない。そして『脱構築』はその決定不可能性にこそ、テクストの開放性や他者性を見る」としている。テクストから絶対的な意味を知ることはできないのだ――みたいな感じだと思ってもらえればいい。何かを伝えようと思っても正しく伝わらないかもしれない。郵便にたとえれば、つねに誤配の可能性がある。で、こういう考えは、絶対的なものなんてないんだ!みたいな相対主義になっちゃうんだけど、それはそれで、相対主義という絶対的なものを信じているという変なことになっている。東はこれを否定神学として批判し、コミュニケーションにおける誤配の可能性――郵便的不安を乗り越えるにはどうしたらいいかを、デリダの前期から後期への変化を見ながら、フロイトの転移と逆転移というフレームワークを使って考える。さて、不安を乗り越えるにはどうすればいいのか――本書では明確な解答は与えてくれない。むしろ、ますます不安になったといってもいい。コミュニケーションとはかくも難しいものなのか。自己言及に陥りそうなナイーヴな内容をここまで誠実に、緻密に組み立てる著者の知性にはただただ感心するばかり。おすすめ。

ゼロ年代の終わりとテン年代の始まり

ゼロ年代が終わり、テン年代がはじまった。ゼロ年代を振り返ると、2001年9月11日に世界を震撼させたアメリカ同時多発テロ、それに続くアメリカとターリバーンとのアフガニスタンでの戦い、イラク戦争、そしてリーマンショックなど、アメリカという帝国がギシギシと軋みはじめた10年間だったような気がする。これから10年、揺らぎはじめた世界秩序をハンドリングしていくのは誰だろう。やっぱりアメリカが持ち直して強引にまとめ直すのか、中国がますます台頭してくるのか、EUやロシアも含めて多極化するのか、それともこれまでとはまったく違う世界秩序ができていくのか。そして日本は、激動のなかでうまくやっていくことができるのだろうか。10年先がまったく見えない――テン年代のスタートはそんな感じだ。

さて。1年前のいまごろ、新年の抱負をいろいろ書いた記憶があるのだけど、何を書いたか読み返す気がしない。どうせひとつもできていないからだ。たしかCDを作りたいとか書いたはずだ。昨年はそれどころかライブもほとんどしなかった。新曲もたった4曲。バンドとしては半活動休止状態だったといってもいいだろう。今年こそCDを――なんてことを書いてもウソ臭くなるからやめておこう。のんびりとやっていければそれでいいや。

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

元日(1月1日は元日、元日の朝のことを元旦って言うんですってね。さっき初めて知りました)本年初日記です。

昨年は年末に怒涛の新曲練習がありましたが、あまり皆様の前に登場することもなく少しさみしい活動となっていましたが、今年は1月にライブ予定もあり(30日ミニケルにて)皆さんにまたベイビーバギーを見ていただくことができます。今から楽しみです。

毎年今年こそは私が作詞作曲の曲を発表したい!と新年あけてすぐは思うのですが、なかなか思い腰があがらず実現できていません。懲りずに、本当に懲りずにですが、今年こそはなんとか1曲は何らかの形で作りたいと思います。

あと、こんなことを公然と書くのもどうかと思いますが、今年はもう少しがんばって練習します。今日からやります。やっぱり35歳までにはもう少し上手になってないと格好悪い。まあ年齢はこじつけですが。

何はともあれ、今年もまた1年よろしくお願いいたします。