母であるとはこれほどまでにしんどいことのか/映画『母なる証明』

自分ではそれほど親に迷惑をかける子供ではなかったと思っているのだけど、それでも親が学校に呼び出されたことは何度かあった。小学校のとき、絵に描いたような「悪友」が近所にいて、一緒にいるだけで問題を起こしてしまっていたのだ。ゲームセンターで補導されたり、河原で花火をして遊んでいるところを通報されたり、先生の車に悪戯したり。そんなときは母親がいつも呼び出され、注意を受けていた。それを見て子供ながらに、母親って大変だなあ――なんて思ったものだ。

母なる証明 スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]

映画『母なる証明』(2009年、韓国)は、母と息子の関係を描いた作品。殺人事件の容疑者として逮捕された息子の無実を証明しようと、母親は自らの手で真犯人を探しだそうとするが――。監督は『殺人の追憶』や『グエムル-漢江の怪物-』で高い評価を得たポン・ジュノ。出演は韓国の国民的女優キム・ヘジャ、兵役を終えて5年ぶりの映画出演となるウォンビンなど。『殺人の追憶』と『グエムル』はかつてこの日記でも絶賛したが、この作品はそれらに比肩する傑作といえる。「母である」ということはどういうことなのか。ストーリーが進むにつれ、この問いは重さを増していく。また「血はそこで流れていない」というメッセージを読み取ることもできる。これは作品を通じて何度も形を変えて繰り返されるのだが、メインテーマの伏線になっていることはもちろんだが、過去の作品で描いてきた政治的なメッセージの変奏として解釈することもできるだろう。そしてラストシーンの衝撃。打ち震えた。

アリス・イン・ワンダーランド

久々のブログ。映画を見てきたので報告を。

『アリス・イン・ワンダーランド』を見てきました。残念ながら3Dではなかったけど。個人的な結論から言えば、もうひとつって感じかな。小さい頃から『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』が大好きでかなり読み込んでいた上にティム・バートンが好きなので、これはぜひ見に行かなきゃ!と行ったのですが、やっぱりねえ3Dを意識して作られた映画は3Dで見なきゃ面白くないわ。3Dの映画を一度も見たことのない人ならそうでもないのかもしれないけど、「ああ、ここ3Dを意識してるなぁ」というところが随所に見られて話に没頭できない。それを平面で見るとちょっと退屈な部分もあるし。それに今回の映画は登場人物の造形にもティム・バートンらしさがかなりあると思うので、その醍醐味を味わうにはぜひ3Dがいいかと。話の筋は・・・難しいなぁ。本来のティム・バートンらしいキレたところがキレきれてないというか、Disneyと組んだためか子供も見ることを意識してか、無難にまとめたな感が強かった。ティム・バートン全開のものが見たかった。内容は書かないけど、2冊のアリスを読んでから見ることを強くおすすめします。一緒に行った友達は鏡は未読、不思議の方も読んだことあると思う・・・くらいだったから、話の筋がよくわからなかったと言ってました。確かに本の筋を知っていること前提に作られていて、知らずに見ると、原作を知らずにパロディの映画を見るような感じかもしれません。

それにしても3Dで字幕は見難いとこれだけみんなが言っているのに、レイトショーの3Dは字幕のみ。そりゃぁ洋画は字幕ってよく言われるけど、こと3Dに関しては洋画も吹き替えなんだって。ということで3D吹き替えでもう一度見直そうかと思っています。もったいないかな?でも不完全燃焼な感じなんだよね・・・。

アリス・イン・ワンダーランド オフィシャルサイト

http://www.disney.co.jp/movies/alice/

ブログが終わる日

ブログをしばらく放置してしまったからこんなタイトルにしてみたのだけど、実際にブログが終わるなんて思っているわけではない。だけどツイッターを使うようになってから、ブログを書くことが億劫になったことは間違いない。ツイッターは「ミニブログ」と言われることがあるけれど、ブログとツイッターの違いはたんに文章が短いが長いかの違いではないだろう。僕はブログとツイッターの違いを、ストックとフローの違いだと思っている。ストックすべき情報はブログに書き、フローで流してしまってもいいようなどうでもいい情報はツイッターに書く。ということはつまり、僕が発信する情報のほとんどはフローなどうでもいいものばかりで、ストックすべきものはなかった――ということだ。いまここに書いているこういうことも、べつにストックすべきような文章ではない。

ところで世界のブログでもっとも多い言語は日本語だという話がある。人口あたりではない。絶対数で英語や中国語よりも日本語で書かれたブログが多いというのだ。これは2、3年まえに言われていたことだから、いまもそうなのかは確認していないが、それなりに多いことは間違いないだろう。だけど日本人がそれほどストックすべき有用な情報を日々発信しているとは思えない。その多くはどうでもいい情報だろう。であれば、ツイッターのようなフローを発信するサービスが使われるようになれば、おのずとブログは減っていくだろう。だけどこれはブログにとって不幸なことではない。これまで有用な情報もゴミのような情報もブログとしてストックされ、それを受信側でより分けていたわけだが、今後はそういう必要がなくなるのだから。

さて、このブログはいつまで続くのだろうか。