少林寺拳法の原点――映画『少林寺拳法』

カンフー映画が好きだ。原点はジャッキー・チェン。テレビで放映される作品を見ながら体を鍛え、カンフーのマネをする。僕らの世代はみんな似たような経験があると思うが、僕は誰よりも影響を受けちゃって、少林寺を習いたい!と母親に懇願し、教室を探してもらったという恥ずかしい過去がある。結局、少林寺拳法の道場はあったにはあったが、家から出ているバスがなかったために、代わりに算盤を習うというわけのわからないことになってしまった。ただ、その頃は「少林寺」と「少林寺拳法」の違いも知らなかったから、道場に行っていたとしても、こんなのカンフーじゃない!とすぐに辞めたかもしれない。

少林寺拳法 [DVD]

映画『少林寺拳法』(75年、日本)は、少林寺拳法の創始者——宗道臣の半生を描いた作品。戦後の混乱期、満州から引き上げてきた宗道臣は、堕落した若者を教育し、荒廃した日本を立ち直らせるべく、各種の拳技を組み合わせた独自の武道——少林寺拳法を立ち上げるが、勢力を拡大しつつあったヤクザとの抗争が起こり——。監督は鈴木則文、出演は千葉真一、志穂美悦子など。少林寺拳法は格闘技というより護身術だというようなイメージがあったが、この作品では暴力として描かれていることに驚いた。バイオレンス映画。『仁義なき戦い』をイメージしてもらえればいい。とにかく力でねじ伏せるのだ。ラストには「正義なき力は暴力なり、力なき正義は無力なり」というメッセージが表示される。少林寺拳法はかつてこんなにも熱い武道だったのだ。宗道臣を演じる千葉真一の演技も熱く、体技もすばらしい。戦後の混乱期を描いた作品としても秀逸。おすすめ。

庶民のためのツイッター活用法

最近テレビや雑誌でもよくツイッターが取り上げられているから、はじめてみたという人も多いのではないだろうか。だけど、なにがおもしろいのかよくわからない――というのがほとんどの人の感想ではないだろう。僕は2年ほど前からアカウントを取得しているが、正直、なにがおもしろいのかよくわからない。いまのところわかったのは、有名人にはとてもおもしろく、有効活用のできるメディアだということだ。たとえば広瀬香美さんが「twitterのみなさーん、いつもお世話になっています。今日は、私からみなさんへ感謝の気持ちを込めて、新曲のプレゼントです。みなさんの為だけに作りました。今日は一緒に楽しみましょう」とつぶやけばみんな聴いてくれるし、水道橋博士さんが「スパムらしいものの削除はどうやればいいのですか?」とつぶやけば、たくさんの親切な人が教えてくれる。いままでは有名人がこういうやってメッセージを直接送り、ダイレクトにレスポンスがあるメディアはなかった。これを知った知った政治家が多く参加するのはあたりまえで、ツイッター上でフレンドたちとコミュニケーションを続けることが、支持者の囲い込みにつながるのである。だけど、これはあくまで有名人だけのことで、もしも僕のような庶民ツイッターで「みなさん、明日はライブだから来てね!」とつぶやいても、電子の海をただよいながら消えてしまうだけで、なんのレスポンスもない。もちろん、有名人のつぶやきを読みたい、メッセージを送りたい、という人には、ツイッターは便利なツールだろう。だけどそういう趣味がなければ、有名人とつながることはたいして魅力的なことではない。友人たちとのコミュニケーションツールと考えるなら、ミクシィやフェイスブックのほうがよっぽど便利だろう。本屋に並ぶツイッターの本では情報収集ツールとしての活用法が書かれていることが多いが、そういうのを書いているのはだいたい物書きやジャーナリストだから、そもそも求めるものが違うのだ。ならば庶民にとってツイッターはまったく魅力のないものなのだろうか。なんとなく最近思うことは、つぶやくことに意味があるのではないか、ということだ。誰をフォローしているとか、誰かにフォローされているとか、そういうことは関係なく、ただつぶやくことに意味がある。僕は以前、ブログを書いていることで、書くことを探すようになった、というようなことを書いた。よくブログをはじめたけど書くことがないという人がいるが、それなら、ブログを書くために書くことを探せばいいのだ。ツイッターも同じことで、つぶやきたいからつぶやくのではなく、つぶやかなければいけない、と考える。そうすると、日常生活の中で、いろんなことを「言語化」しなければいけなくなるのだ。しかも、たんに言葉にするだけだとつまらない。ちょっとヒネる。たとえば「ファミレスで日替わりランチを食べた。おいしかった。」とつぶやくのではなく、「ファミレスで日替わりランチを食べた。昨日と同じおかずだった。これでは日替わらないランチだ。」みたいにヒネるのだ。こうすることによって、考えることがクセになる。つぶやくことを探すようになる。だから、ツイッターはこれ自体がおもしろいものではない。自分で勝手に楽しむものなのだ。

無料ってなんなんだろう――クリス・アンダーソン『フリー』

「無料」ということの意味がよくわからなくなっている。たとえば音楽ならこれまではレコードやCDを買って聴いていたものが、いまではネットで無料で聴くことができるし、グーグルをはじめとするWEBサービスは驚くほど高機能なものを無料で利用することができるし、スカイプなどは無料で通信することができる。だけど、すべての音楽やWEBサービス、通信が無料になったのかというとまったくそうではなく、高額のものも一方ではあるのだ。このとき〈無料のカラクリ〉がわかるのであれば、まだ理解できる。Googleなどは他の広告収入で成り立っているのだなということは想像できる。だけど、どうしてこれが無料なのだろう?と首をひねらざるをえないものもある。いったい「無料」ってなんなんだろう。

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略

クリス・アンダーソン『フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略』(09年、日本放送出版協会 )は、タイトルのとおり「無料」についての本。無料っなんなんだろう?という疑問には、まずこのように答えてくれる。「21世紀のフリーは20世紀のそれとは違う。アトム(原子)からビット(情報)に移行するどこかで、私たちが理解していたはずの現象も変質したのだ。『フリー』は言葉の意味そのままに『無料で自由』であることになった」。なるほど、つまりいまは「フリー」の意味が移行しつつあるのだ。わからなくなるのもムリはない。新しいフリーのビジネスモデルを、著者は大きく4つに分類する。「(1)直接的内部相互補助」「(2)三者間市場」「(3)フリーミアム」「(4)非貨幣市場」の4つだ。(1)はたとえば街頭で無料の試供品を配り、そのコストを広告費として商品の価格に上乗せされるようなやり方。(2)はたとえばテレビ番組の制作費をCMのスポンサーが負担しているようなやり方。(3)は一部の有料ユーザーが、その他の無料ユーザーのコストを負担するようなやり方。(4)はボランティアなど市場原理とは離れたもので、ウィキペディアなどをイメージしてもらえればいい。ようするに、どうしてこれが無料なのだろう?と首をひねるものも、結局は〈無料のカラクリ〉が見えにくくなっているだけで、多くの場合は無料ではないのだ。で、これを可能にしたのが、つまりはインターネットなどの情報技術なのである。こういう世の中の変化を考えずに、たんに「無料だから」という理由で行動していては、場合によっては合理的ではないこともあるということだ。フリーの変化は価値観の変化でもあるのだろう。強くおすすめ。

メトロノームは電子音楽の夢を見るか

タイトルにとくに意味はない。定例のスタジオ練習。前回はリズム隊だけでメトロノームに合わせて練習したので、今回も引き続きメトロノームくんに参加してもらった。ドラマーならわかると思うが、ふだんクリックを聞く習慣がないと、それに合わせて叩くのはなかなか難しい。バンドで演奏するときはドラマーだけがヘッドホンでクリックを聞くので責任重大。ちょっとズレたと思って帳尻を合わせようとすると余計にグダグダになってしまったり、クリックに集中するあまりグルーヴ感のまったくないのっぺりとしたリズムになってしまったりするのだ。まして慣れない新曲。案の定、苦笑いの演奏になってしまった。昔よりはリズムキープはできるようになってきたのだけど、曲の起承転結においてスポード感を出したいところで実際に速くなっちゃうのだ。まあ、1曲を通してテンポは一定でなければならないというルールがあるわけではないが、スピード感は実際の速度ではなく体感速度で出すべきなのだろう。しばらくはメトロノームと一緒に練習していきたい。

映画の予算とおもしろさ――映画『テープ』

上映中の映画『アバター』を観て、これまでとはまったく違う映像世界に「映画が変わった!」と感じた人は多いだろう。たしかに『アバター』は映画史においてメルクマールとなる作品だが、今後の作品がみんなこうなるわけではもちろんない。表現方法が違うとか技術レヴェルが高いとかいうそのまえに、投入したコストが桁違いなのだ。構想14年、製作期間4年、制作費2億7300万ドル。ふつうの作品でこれだけのコストはかけられないだろう。マネーをつぎ込んでいい作品ができるのはあたりまえだ——そういう意見もあるかもしれない。たしかにそういう側面もある。もしこの作品が従来の2D作品だったら、これほどまで話題になることはなかっただろう。だけど、誰でもこれだけお金をかければおもしろい作品が作れるというわけでもない。まあ、凡庸な話で申し訳ないが、ようは監督次第ということだ。

テープ [DVD]

映画『テープ』(01年、アメリカ)は、リハーサル3週間、撮影1週間、登場人物はたったの3人、舞台はモーテルの一室——という驚くほど手軽に作られた作品。制作費の情報は見つけられなかったが、出演者のギャラをのぞけば超低コストだろう。監督はリチャード・リンクレイター、脚本・原作はステファン・ベルバー、出演はイーサン・ホーク、ロバート・ショーン・レナード、ユマ・サーマン。モーテルの一室でふたりの男がハイスクール時代の三角関係のことでモメ、そこにその女がやってきて――。設定もストーリーもいたってシンプル。ただ男女3人の会話だけで展開されていく。前半は男だけでダラダラしている感があるが、後半、女がやってきてから一気に緊張感がアップ。言った/言わない、やった/やらないのくだらない口論なのだが、3人の心情がひしひしと伝わってくる。まさに映画の醍醐味。近年の大作ブームに一石を投じる作品だろう。ユマ・サーマンの演技も見どころ。おすすめ。

新曲ができない。

私も今年こそは新曲を!と色んなアーティストの曲を聴いている。もちろんちょっとずつパクってこようと思って。でへへ。昨日久々にメタリカのDVDを見た。もちろんけっこうパクッちゃえと思って。ぐへへ。でもだめだった。なんかちょっと違うんだよなぁ。世界のメタリカ様に向かって違うとは恐れ多い言い草だが、以前はあんなのがやりたいなぁと思ってたんだけど最近はちょっと自分の中のイメージが変ってきてるようだ。自分のやりたい音楽を作るのは難しい。そして1曲にするのは難しい。そしてギターが弾けないのはつらい。音楽ソフトを使って打ち込もう!と思うんだけど、ベースなんて単音だからなんとでもなるけど、ギターをイメージ通りいれるのなんてほぼ不可能。ましてやコードもわからないし、エフェクターもよくわからない。メロディだけなら鍵盤で弾いていれればいいんだろうけど、それだと全然イメージが伝わらないし・・・と挫折する。なんかいい方法ないかなぁ。ヤマハにギターを習いに行くとか。そんなことしてたら新曲できるの5年くらい先になってしまう・・・。

ライブでした。

先週末30日の土曜日、久々のライブがありました。来てくれた皆さん、本当にありがとう。そんなつもりじゃなかったのに、偶然にもベイビーバギーの曲を聴くことになった沢山の人達にも本当にお礼を言いたい。ありがとう。

いたるくんがらせん以外のバンドを卒業して、1本にしぼって活動していくということもあり、いたるくんが風邪気味だけど一生懸命だということもあり、自分がライブに出るのが本当に久しぶりだということもあり、なんかちょっとジーンときました。ベイビーバギー自体は新曲を4曲も披露したので、ノリノリ!というよりはお客さんは冷静に聞いていたんじゃないかと思いますが(いつもノリノリでもないか・・・。)、この4曲の中から1曲でもお客さんの耳に残って愛される曲がでてきたらいいなぁと思います。

ライブ終了後、「恭子さんだけなんか余裕~みたいにニコニコしながらフンフ~ンって弾いてましたね」みたいなことを言われた。「リハ沢山やったから余裕があったんだよ」みたいなことを言ったんだけど、私がニコニコしてるのは、余裕があるというよりは、楽しいから!ロッカーにあるまじきほのぼの感を醸し出していることに反省はしてるんだけど、我ながらキモイけどライブ中楽しくて楽しくてにやけることが間々ある。ライブ中だけじゃなくてスタジオでもそうだけど、スタジオでは満面の笑みだろうと眉をひそめて陶酔しようとあまり気づかれていない。と思っている。こんなコワッパが!と思うんだけど、自分達の音に酔うことがある。楽しくてしょうがない。こう湧き出てくる楽しさね。ドライブ感、とか言ったら笑われそうだけど、自己陶酔型で自分達が大好きなナルシスト型でコワッパ型の自分だからこそ味わえる幸せの瞬間だと思います。まあ結論からいうと、楽しかったんだ。音楽はいいね。そして是非プレイヤー側になってみることをおすすめします。超楽しいから。

Welcome to the Minichael’s Cafe

昨夜は半年ぶりのライブ。今回は久しぶりということもあるし、新曲を4曲も演るということで、かなり頑張らなくちゃいけないライブだった。さらに会場がミニケルズカフェ。昨年の4月にミニケルはいったん幕を閉じ、マスターが替わってリニューアルオープンしたわけだけど、リニューアルしてからははじめての出演となる。僕らはミニケルで生まれてミニケルで成長してきたのだけど、そこらへんの思い入れはここらへんを参照。また、今回の主催は仲間のいたるくんで、彼はこれまでいくつかのバンドを掛け持ちしていたのだけど、メインの「らせん」に集中するということで、VOW WOWのコピーバンドとミスチルのコピーバンドを卒業するラストライブで、僕らはそのゲストに呼ばれたのだった。とにかく、重要なライブだったということだ。

いたるくんのバンドについてはいたるのブログに詳細が書いてあるのでそれを参照してもらうとして、僕らベイビーバギーはどうだったかというと、完全な練習不足にもかかわらず、それなりのことができたのではないかと、自分では思う。心配していた――かなり心配していたボーカルも最後の練習時よりずっと良くなっていて、さすがちゃんと合わせてくるなあと高西夫妻を見直したのだった。今回演った新曲は演奏順に「I Don’t Need Your Love」「Howl For You」「Love Ballade」「Fire For Desire」の4曲。昨年の後半にバタバタと作った4曲だ。今回のテーマはミネさんがMCで「愛」だといっていたけれど、まあそれもないわけではないが、僕としてのテーマは、ひとみさんに歌ってもらうことだった。だから4曲中の2曲はひとみさんがメインだし、他の2曲でもできるだけコーラスを入れてもらうようにした。これまで男女のツインボーカルをなかなか活かすことができず、ずっとそれが自分の課題で、今回の新曲についてもまだまだ不十分だと思うんだけど、そういうテーマのもとに作られた4曲だったわけだ。これについてはこれからも課題として取り組んでいきたい。

さて、ライブは超満員で、まあほとんどはいたるくんのお客さんだったと思うけど、とにかく来てくれたみなさんにはありがとう。いたるくんとバンド仲間にも、そしてミニケルズカフェにもありがとう。おかげさまで重要なライブで楽しく演奏することができた。ありがとう。

かつてはヒーローだった――映画『レスラー』

プロレスは時代とともに大きく変わってきた。1953年にテレビ放送がはじまると力道山の人気とともにプロレスは国民的な娯楽となり、その後もアントニオ猪木やジャイアント馬場などの活躍もあり、1980年代まで人気を博した。しかし90年代になるとそれまでゴールデンタイムで放映されていたテレビ中継が深夜枠へ移動し、またK-1や総合格闘技などの人気もあり、しだにマイナーな存在になっていく。そして現在では「アメトーーク!」などのテレビ番組で芸人たちによってネタ的に扱われるようになってきた。プロレス自体が変わったわけではないが、それを見る人たちの目が変わってきたのだ。

レスラー スペシャル・エディション [DVD]

映画『レスラー』(08年、アメリカ)は、あるプロレスラーの引退を描いた作品。かつて人気レスラーだった主人公だが、いまではすっかり落ちぶれ、アルバイトをしながらプロレスを続ける生活を送っていた。ある日、長年のムリがたたって心臓発作を起こし、引退を決意する。それを機に長年疎遠だったひとり娘との仲を修復しようと試みるがうまくいかない。そして自暴自棄になった主人公は――。監督はダーレン・アロノフスキー、出演はミッキー・ローク、マリサ・トメイほか。不器用だがひたむきでストレートな主人公と、彼を取り巻く人たちの人間ドラマはとてもすばらしいが、なによりプロレスの本質をここまで描いた作品は他にないのではないか。プロレスをよく知らずに八百長だショーだという人がいるが、そんな人はこれを見ればプロレスのなんであるかがよくわかるだろう。それにしてもミッキー・ロークはいい仕事をした。傑作。おすすめ。

パクってるかもしれない――映画『シークレット・ウインドウ』

作曲をしていて、いいフレーズができた!というとき必ず、でもこれ、なにかのパクリじゃない?と不安になる。自分でいいと思うものほど、この耳障りの良さは過去に聞いたことがあるからにちがいない――と思うわけだ。で、実際、よくよく考えたらたしかにパクっていたということがよくある。故意にパクるのはさておき、無意識にパクるというのは、音楽にかぎらず、すべてのクリエイターにとって恐怖なのではないだろうか。

シークレット・ウインドウ コレクターズ・エディション [DVD]

映画『シークレット・ウインドウ』(04年、アメリカ)は、そのような恐怖を描いている。ある小説家のもとにひとりの男が訪ねてきて、私の小説を盗作しただろうと詰め寄る。小説家はそれを否定して追い返すが、男は自分が書いたという原稿をおいていった。読むとたしかに瓜二つ。その後も男は執拗にやってくる。やがて小説家の愛犬が殺されるという事件が起きた。その後も続く事件。しだいに小説家は憔悴していき――。スティーヴン・キングの小説『秘密の窓、秘密の庭』を映画化したもので、監督はデヴィッド・コープ、出演はジョニー・デップほか。話は「盗作」をめぐって進んでいくのだけど、ストーリーの軸となるのはこの小説家と妻の夫婦関係で、ふたりは離婚の調停中にある。盗作を否定する証拠は別居中の妻のもとにあるが、妻はすでに別の男と同居中。さらに小説家は過去に実際に盗作をしたことがあって――という感じだ。原作は読んでいないからわからないが、映画としては残念ながらまったくおもしろくない。サスペンスとしては緊張感に欠けるし、人間ドラマとしては薄っぺらい。オチも凡庸。ただジョニー・デップはいい演技をしているので、ファンは楽しめるだろう。ファンじゃなければ見る必要はない。

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