もはや例外ではない――笠井潔『例外社会』

21世紀とはどんな時代なんだろう。僕なんかは井戸端的に物騒な世の中よねえ――と思う。でもこの物騒というのは、たんに治安が悪化したとか、人々が暴力的になったとかいうのとはちがって、これまでにはなかったような、グロテスクというか、不安をあおるようなものだ。胸騒ぎといったほうがいいかもしれない。たとえば2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロは、当時のブッシュ大統領は「戦争」といったけれど、それまでの国家対国家の戦争とは異なっていたし、まして国の真ん中でいきなり勃発するような戦争なんてそれまでなかった。また同年、大阪府池田市で起きた「附属池田小事件」や、2008年に秋葉原で発生した「秋葉原通り魔事件」も、それまでの事件とは異質な感じを受けたのではないだろうか。僕らはこんな物騒で不安な世の中で暮らしていかなければいけないのか。

例外社会

笠井潔『例外社会』(09年、朝日新聞出版)は、これまでの社会では「例外」として扱っていた事態が常態化した社会を「例外社会」と名づけ、その歴史的な背景から思想的な枠組み、そして日本の格差・貧困問題から世界的なグローバリズム対イスラム革命運動までをダイナミックに論じる大著。「例外社会」は、これまでの社会とはまったく異なる社会だから、20世紀的な見方では捉えることができないし、解決策も見出せない。たとえば日本の非正規雇用やワーキングプアの問題では、「21世紀的な例外社会が直面している、分配と承認をめぐる格差化/貧困化の必然性には、(略)20世紀的な『ゆたかな社会』に戻りたいという願望も、富と貧困の二項対立を前提とした再分配の要求も無力だろう」と断言する。国家のあり方についてもすっかり変わってしまった。「1989年の社会主義の崩壊で、世界は先年王国主義の暴力や悪夢から解放されたという楽天的な主張は、2001年の9.11で根本から覆された」のだ。

第1次大戦以降、われわれの社会にとって必然的な例外状態は、国家が社会化した20世紀的な例外国家(社会の隅々にまで生権力を展開する国家)から、社会の国家化としての21世紀的な例外社会(国家の社会領域からの撤退に応じ、生権力を自生化する社会)に変貌した。「ゆたかな社会」の崩壊以降、社会領域から撤退した国家は、人口を生と死に分割する人種主義的な例外国家を模倣しはじめる。同時に社会それ自体が、監視カメラの事例からも窺われるように、例外状態を構造化するようになる。

僕らはこれまでとはまったくちがう社会を生きている。これまでの見方、考え方、やり方ではダメなのだ。さて、僕らはこの21世紀をどのようにサバイブすればいいのだろうか。

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