ゾンビの現在性――映画『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』

ゾンビの歴史は古く、ヴードゥー教の伝承にまで遡る。「ヴードゥー教の伝承によれば、ボコールと呼ばれる神官たちは、犯罪者の遺体を呪術によって蘇らせ、生前の罪を償わせるために奴隷として働かせたそうだ。この生ける屍こそが、ゾンビである」(『ゾンビ映画大辞典』)。この「生ける屍」を映画化し、「ゾンビ」として世間に広めたがジョージ・A・ロメロで、彼の作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68年)と『ゾンビ』(78年)はゾンビ映画の古典とされている。「生ける屍」自体は世界各地で古くからあったものだが、いわゆる「ゾンビ」の生みの親はジョージ・A・ロメロだといってもいい。

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映画『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(08年、アメリカ)は、ジョージ・A・ロメロの最新作。「ゾンビ」を生み出した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から40年。死体がゾンビとなり人間を襲う――というコト自体は変わらないが、社会は大きく変化した。もっとも大きな変化はインターネットだろう。ロメロは新しいゾンビ映画を作るにあたり、この大きな変化を大胆に取り入れた。ストーリーはフェイクドキュメンタリー風に進む。大学でゾンビ映画を作っていた学生たち。そこへ死者が蘇り人間を襲っているというニュースが流れる。学生たちはゾンビから逃げながらもカメラを回し続け、その映像をネットで流していく――。ロメロが伝えたかったのはこういうことだろう。どんなに悲惨なシーンでも、カメラで撮影し、映像で見ることにより、その悲惨さは薄れてしまう。見るかぎりにおいては、それが現実の出来事なのか、映画のワンシーンなのか、見分けることすらできないのだ。悲惨なシーンを冷静に撮影する人々、その映像を冷静に見る人々。そのとき、人間のグロテスクな残虐性があらわになる。ほんとに恐いのは、ゾンビではなく、人間なのではないか。こういう社会的なメッセージをゾンビ映画でやってしまうところにロメロの偉大さがある。ゾンビ映画はまだまだいける――ファンにとっては勇気づけられる作品だろう。ただ、残念ながら映画としてはまったくおもしろくない。ゾンビ映画はまだまだいけるが、ロメロはそろそろダメなようだ。

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