庶民のためのツイッター活用法

最近テレビや雑誌でもよくツイッターが取り上げられているから、はじめてみたという人も多いのではないだろうか。だけど、なにがおもしろいのかよくわからない――というのがほとんどの人の感想ではないだろう。僕は2年ほど前からアカウントを取得しているが、正直、なにがおもしろいのかよくわからない。いまのところわかったのは、有名人にはとてもおもしろく、有効活用のできるメディアだということだ。たとえば広瀬香美さんが「twitterのみなさーん、いつもお世話になっています。今日は、私からみなさんへ感謝の気持ちを込めて、新曲のプレゼントです。みなさんの為だけに作りました。今日は一緒に楽しみましょう」とつぶやけばみんな聴いてくれるし、水道橋博士さんが「スパムらしいものの削除はどうやればいいのですか?」とつぶやけば、たくさんの親切な人が教えてくれる。いままでは有名人がこういうやってメッセージを直接送り、ダイレクトにレスポンスがあるメディアはなかった。これを知った知った政治家が多く参加するのはあたりまえで、ツイッター上でフレンドたちとコミュニケーションを続けることが、支持者の囲い込みにつながるのである。だけど、これはあくまで有名人だけのことで、もしも僕のような庶民ツイッターで「みなさん、明日はライブだから来てね!」とつぶやいても、電子の海をただよいながら消えてしまうだけで、なんのレスポンスもない。もちろん、有名人のつぶやきを読みたい、メッセージを送りたい、という人には、ツイッターは便利なツールだろう。だけどそういう趣味がなければ、有名人とつながることはたいして魅力的なことではない。友人たちとのコミュニケーションツールと考えるなら、ミクシィやフェイスブックのほうがよっぽど便利だろう。本屋に並ぶツイッターの本では情報収集ツールとしての活用法が書かれていることが多いが、そういうのを書いているのはだいたい物書きやジャーナリストだから、そもそも求めるものが違うのだ。ならば庶民にとってツイッターはまったく魅力のないものなのだろうか。なんとなく最近思うことは、つぶやくことに意味があるのではないか、ということだ。誰をフォローしているとか、誰かにフォローされているとか、そういうことは関係なく、ただつぶやくことに意味がある。僕は以前、ブログを書いていることで、書くことを探すようになった、というようなことを書いた。よくブログをはじめたけど書くことがないという人がいるが、それなら、ブログを書くために書くことを探せばいいのだ。ツイッターも同じことで、つぶやきたいからつぶやくのではなく、つぶやかなければいけない、と考える。そうすると、日常生活の中で、いろんなことを「言語化」しなければいけなくなるのだ。しかも、たんに言葉にするだけだとつまらない。ちょっとヒネる。たとえば「ファミレスで日替わりランチを食べた。おいしかった。」とつぶやくのではなく、「ファミレスで日替わりランチを食べた。昨日と同じおかずだった。これでは日替わらないランチだ。」みたいにヒネるのだ。こうすることによって、考えることがクセになる。つぶやくことを探すようになる。だから、ツイッターはこれ自体がおもしろいものではない。自分で勝手に楽しむものなのだ。

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