文学者不在の時代

いま使っているGoogleのRSSリーダーには120件くらいのフィードが登録されているだんけど、それをざっと見ていくと、経済学者のブログが多いことに気づく。経済学者といっても、書いていることは経済学にかぎらず、政治や社会問題、IT、テレビや漫画など、じつに幅広い。同じことはプログラマについてもいえて、畑違いのマターに積極的に言及し、多くの読者から支持を得ていたりする。どうやら、日常のあらゆることを経済学的というかプログラマ的というか、合理性を求める実用主義的な視点で見ることがトレンドのようだ。ひと昔前までは、政治や社会問題についてコミットするのは文学者の仕事だったのではないか。一昨日のテレ朝「朝まで生テレビ」は「新しい貧困」がテーマだったが、パネリストは政治家や経済学者、企業家やコンサルタント、それ系団体の人ばかりで、文学者や哲学者はおろか、社会学者も教育学者もいなかった(雨宮処凛はいたけれど)。たしかに貧困というのは経済的アジェンダなのだが、それだけで語り尽くせるとは思えない。働きたくても働けない人がいることは政治的に解決しなければいけない問題だが、働きたくない人がいることも事実だし、それなりに生活できればいいというライフ・スタイルもあるわけで、そういう合理性から外れたことにかんしては、文学者が発言すべきなのではないか。「新しい貧困」が問題なのは、それを「貧困」としか呼ぶことができない、文学者不在の状況だと思う。

公共性 (思考のフロンティア)

齋藤純一『公共性(思考のフロンティア)』(岩波書店、00年)を読了。公共性というテーマについて、歴史的経緯やアーレントやハーバーマスによる議論とその問題点、現代における課題などが、幅広く簡潔にまとめられている。アマゾンのレビューでは多くの高評価を得ていて、それで読んでみたんだけど、素人には難しかった。少なくとも基礎的な政治理論について知らないと、本書の良さはわからないだろう。

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