日本語で歌うということ

BRUTUS (ブルータス) 2008年 9/1号 [雑誌]

ブルータス』の特集「日本語で歌おう!」を読みながら苦悩する。そりゃあ僕だって日本語で書きたいのはやまやまなんだけど、ヘヴィなロックで日本語はやっぱり難しいのではないか。これは音がどうとか意味がどうとかじゃなくて、日本語で歌うということは日本人の視点で歌うということで、ヘヴィなロックが表現するのはやっぱり激しい怒りだから、そうなるといま日本人として激しい怒りは何かと考えても、思いつかないのだ。もちろん、僕は常々ここでマスメディアや政治家を批判しているわけだけど、怒りで身を震わせるほどではない。だって問題はせいぜい何かを偽装したとか、隠蔽したとか、その程度だから。アメリカ人がブッシュに怒りをぶつけるのとはわけが違うわけだ。もちろん、日本人として戦争反対!を叫ぶことはできるんだけど、テレビでしか戦争を知らないから、どうしても後ろめたい。だから、激しい怒りを表現するためには、まず日本人であることをやめ、アメリカ人やなんかになったつもりになるしかないのだ。しょせんは“なんちゃって”なんだけど、ヘヴィなロックをやるにはしかたない。だから、ごめん、ひとみさん、次の新曲も英語になるよ。

オール・ホープ・イズ・ゴーン~スペシャル・エディション~(DVD付き)

スリップノットのニュー・アルバム『オール・ホープ・イズ・ゴーン』(08年)を聴く。約4年ぶり、4枚目。1st『スリップノット』と2nd『アイオワ』を愛するコアなファンは3rd『VOL.3:(ザ・サブリミナル・ヴァーシズ)』を、こんなのスリップノットじゃねえ!と否定したが、本作は否定どころかサヨナラする構えを見せている。たしかにスリップノットは変わった。1stと2ndでは醜悪極まりないルックスと圧倒的なヘヴィネスに徹しつつ、それでもなんとなくキャッチーなのがウケたわけだが、3rdで突然、ボーカルがメロディアスになり、ギターソロなんかも入ったりして、それでもスリップノットらしさはあったんだけど、4thになったらクラシカルなヘビーメタルやオーソドックスなバラードまで演るようになって、ついには付属のDVDで普通に素顔を晒す始末。僕は個人的にメロディアスになるぶんにはいいんだけど、バラードをするにしても、最後の最後でドカーンとなるとか、どこかしらにスリップノットじゃなきゃできない部分を入れてほしかった。せっかく9人もいるのに、これなら3人でもできるじゃないかと。もちろん、これぞスリップノット!という曲はあるし、それは本当にカッコいいんだけど、徹底してほしかった。素顔を晒すことにしても、以前から別のバンドなんかで公開済みだったわけだけど、せめてスリップノットとしてやっているときはマスクを外すべきではない。ファンが求めるものとバンドがやりたいものは違って当たり前だけど、ファンが求めているものはなんなのか考えることは必要だと思う。
◆公式サイト http://www.slipknot1.com/

「日本語で歌うということ」への1件のフィードバック

  1. なに〜っ!?( ̄□ ̄;)!!
    英詞は勘弁して下さい…。
    ミネぞうのパート増やして下さい。

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