異例ということでいえば

先日、福田首相は導入が検討されているサマータイムについて、「やっていない日本が異例。我が国も制度を入れるべきだとの意見が強くなってきている。特に環境の問題があり、私もサマータイムをやってもいいのではないかと思っている」とコメントしたが、buyobuyo氏のつっこみを読んでハッとさせられた。

確かにOECD加盟国としては夏時間不採用は少数派だね。だけどね、そういう理由で採用するとか言うなら、その前にその他のOECD加盟国としては少数派となっているもっと深刻な事態の解決のほうが先じゃね?
まずは、OECD加盟国としては異例中の異例から是正したらどうか?

で、この「異例中の異例」とは、死刑を指している。OECD加盟国(経済協力開発機構)で死刑を実施しているのは日本とアメリカだけで、しかもアメリカは一部の州でしかやってないから、国をあげてやってるのは日本だけだと。すばらしいツッコミだ。さらに記事では、OECD加盟国での異例ならほかにもあると畳みかける。

  • 貧困率は2位
  • 医師数は27位(30カ国中)
  • 大学進学率は平均以下
  • 学校教育費における公費負担率は最下位(開発途上加盟国のギリシャを除いて)

「異例」ということでいえばまだまだありそうだ。ただ、もちろん、このこととサマータイムを導入すべきかどうかは別問題で、僕は導入すべきなんじゃないかと思っている。理由は、「異例」だから。たとえば、会社の昼休みはたいていどこでも12時から1時だと思うけど、これはみんな同じだというところに合理性がある。だけどこれを理解していない人って案外多くて、うちの会社でもランチタイムをマイペースで30分でも1時間でも平気でズラす人がたくさんいる。外部との交渉がまったくない職場ならともかく、当然電話とかはかかってくるわけで、相手は昼時間が終わるのを待ってかけてくるのに、まだ不在ということになる。サマータイムにかんして日本が「異例」だというなら、これと同じような非効率はあるのではないかと思うのだ。

「明治」という国家〈上〉 (NHKブックス)

司馬遼太郎『「明治」という国家〈上〉』(NHKブックス、94年)を読了(とりあえず上巻のみ)。恥をさらすが、司馬遼太郎の小説を読んだことがない。というより、いわゆる歴史小説というものを読んだことがないのだ。読みたいとは思うんだけど、歴史に詳しくないから、読んでもおもしろくないかなと。本書は司馬がテレビ番組かなんかでしゃべったことをまとめたもの。やっぱり同じ歴史でも、小説家の視点は歴史学者や評論家とかとは違うなと思った。人間中心で、ドラマがあるのだ。で、つぎの文章は、最近の僕の明治ブームを説明してくれた。

明治は、リアリズムの時代でした。それも、透きとおった、格調の高い精神で支えられたリアリズムでした。(中略)そこへゆくと、昭和には(中略)リアリズムがなかったのです。どうみても明治とは、別国の感があり、べつの民族だったのではないかと思えるほどです。(第1章「ブロードウェイの行進)

明治ってなんか違う――というのが僕のイメージ。江戸時代とも違うし、大正・昭和とも違う。もちろん、歴史はつながっているわけで、違うなら違うで動因があるはずだ。しばらくは、それを探っていきたい。歴史小説を読むのはそのあとで。

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